Nerdyな人が増えて来た喜ばしい日々
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ニューヨークタイムズ紙のポリーニ リサイタル レビュー
ニューヨーク タイムズ28日付でポリーニのカーネギーホール リサイタルのレビューが掲載されている。ここをクリックしてみて

音楽観賞後の評論というものは、それを書いた人の個人的な観点であって決して普遍的なものでは無い事を承知で読むものである。

このレビューを読んで私はAllan Kozinnという評論家に興味を抱いたのでネットで検索してみた。ここをクリックしてみて

はやい話しが私はAllan Kozinnのレビューを好きになれない。勿論、彼が感じとったのだから それが当日の彼の感想で参考として読むのに価値が無いとは思わないけれど。

まずレビューの表題 Attacking the Piano With His Forcefulness, as Usual、 これはレビューの最後の節と繋がっているのは明白。

私の個人的な観点からはポリーニのスタイルを私はForcefulと思った事が一度も無い。Powerfulとは思う。Powerfulとは pp であっても ff であっても sf であってもPolliniはPowerfulである。反面 Forceful とは、むしろ意識して無理に力を入れるといった意味になる。ひょっとしてAllan Kozinn は音楽評論家だけれども彼が弾いて知っている楽器はピアノではない可能性がなきにしもあらず。或は単にポリーニ ファンでは無いというだけの事かも知れない。

さらに、マズルカ#3を Allan Kozinn は gently rocking quality to Mazurka No. 3  と聴いた聴き方は浅い。

今回のリサイタルはベートーベンで始まって真ん中にシューマン、そしてショパンに入って終わる。しかも選曲に一環性があり、アンコールの曲も含めてノクターン8番以外は、どの曲も過言すれば感覚に類似性がある強い曲だ。

If you like this aspect of Mr. Pollini’s style — his forcefulness and muscularity, and his ability to create the sense that the piano is inadequate to the music’s demands and his own — his tendency to apply the same expressive effects to every work on the program was not a deal breaker. Judging from the standing ovations at the end of each half, most of the audience took that view.
と書いているけれど 「起立して拍手を送った聴衆も其のVIEWを抱いた」と何故に分かるのか? 私も其の聴衆の1人である。

また Mr. Pollini’s style — his forcefulness and muscularity, and his ability to create the sense thatうんぬは、Allan Kozinnがポリーニのスタイルを其の様に解釈しているのであって、私の解釈とは全く違う。

私のPollini styleの解釈は、まずポリーニは弾き込む時の圧力とフワッと圧力を抜く時の構えの見事なスタイル、それと切れ切れでない指の繋がりと流れで素晴らしいアクセントやスラー、フレーズの仕方が生かされ、同時に休止符という間が冴える。それがポリーニのスタイルの中で際立って私の耳に聴こえる。Forcefulnessとかmusucularityは関係ない事と私には聴こえる。

表題に関係してくる最後の節は、お粗末。Allan Kozinnはピアノに対して、或は音楽演奏に耳が無いと私はする。
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by nerdy | 2008-10-31 12:28 | マウリツィオ ポリーニ
マウリツィオ ポリーニのカーネギーホール リサイタル
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昨日の日曜日26日は最高に幸せ気分と名残惜しさがまざった心持ちで帰宅しました。
来年まで一年間待たなくては、、、。
今年のリサイタルも大成功

第一部
ベートーベン ソナタ「テンペスト」と「熱情」

休憩(調律師が高音部を調律)

第二部
シューマン 「ファンタジーC」
ショパン マズルカ
ショパン スケルツオ2番

アンコール
エチュード12番「革命のエチュード」
ノクターン8番
エチュード4番
バラード1番

座席も文句なし。目線に白鍵と手とペダルが見える。ポリーニはペダルを非情に頻繁に使う。

「テンペスト」を弾き始めた時、ピアノの音が少々籠っているかのように私の耳に聴こえると同時に音と音の響きと波長の交わり方が目立って強烈に聴こえた。カーネギー ホールの室内の建築様式の影響かなあ、あるいは私の耳が刹那 水でも溜まったのかなあと考えたりした。

シカゴの演奏のレビューの一部(ベートーベンの曲の演奏の部分に少々マイナスのレビューが書かれているので その影響でピアノの調律に deep resonance を効かせるようにしたのかなあ。ポリーニほどになればレビューなど気にしないとは思うけれど。)

Pollini travels with his own Steinway, an instrument engineered by the Italian master technician Angelo Fabbrini. The piano's hard clarity and brilliance suits the pianist's manner, but its lack of deep resonance deprived the Beethoven "Tempest" and "Appassionata" sonatas of a certain sonorous weight. Still, it was fascinating to hear Pollini treating the Adagio movement of the D Minor sonata like an extended improvisation. And his heroic and flawless execution of the "Appassionata," brought the audience to its feet, roaring.

The piano's hard clarity and brilliance suits the pianist's manner,と書いて, それなのに  but its lack of deep resonance deprived the Beethoven "Tempest" and "Appassionata" sonatas of a certain sonorous weight

これはレビューを書いた人がピアノのペダルが重くなった近代のピアノを考えてベートーベンを解釈しているから こういう矛盾した論理が正統化されるのではと考えたりする。

個人的にはポリーニの熱情ソナタが1番好きなので、しかもDeep Resonance を効かせたい小節には非情に効かせていて、私にとっては、どの演奏家のよりも一番深淵で立体的であるので、ピンピンに張った部分とコントラストになって相互に最高の良さを出していると私は聴くので耳慣れしていなかった可能性が高い。今回のカーネギー ホールでのベートーベンはコクのある液体を思わせるベートーベンの演奏で年期の入ったワインのような「テンペスト」と「熱情」。休憩時間は非情に満ち足りた気分で過ごせた。

シューマンの「ファンタジーC」もファンタジーの境地に誘い込まれるような演奏、
ショパンは、文句なしに最高の最高。しかもスケルツオの終り方はアッと聴衆を思わせるほどの絶妙さ。

ポリーニを聴いていると私は何時も縦に大きな円が間を置かずに次々と描かれて行くようなイメージが浮かんで来る。

拍手が鳴り止まないのでアンコールはショパン4曲。バラードを弾き終わって退場する時、両肩をチョコチョコと上に上げて「もう肩がコチコチだから」という感のシグナルを送った。


サイン会は新しいCDは全て売れきれ。私はリサイタルが始まるベルが鳴る前に購入しておいたから問題なし。とてつもなく長い列。

いよいよポリーニまで6−7人ほどになった時、私は充分にポリーニを観察。
あんなに写真写りと実物が違う人って珍しいのでは。実物は非情に骨細でキャシャで痩せていて、顔も細面、横顔も小さく女性ならカメオのブローチの横顔、雰囲気や姿が非情に美しく、笑顔が美しい男性だ。

手は普通の人より大きな手に違いないと思っていたけれど意外に小さな細い手の甲に長い指。サイン中も左手の指をキチンと揃えて右手のペンの持ち方もチマチマとした感じで、茶道で習わせられる指の揃え方。あの骨細の体と手に あれだけのパワーが潜んでいるとは演奏を聴かない限り誰も想像できない外観をしている。

傍でサイン会をヘルプする人に「1人に1つのサインで」と言っている低い声も聴けた。

肝心の私の番になったら私はポリーニと目を合わせる勇気すら無く、ポリーニの手を見ていてサインが終わったらポリーニの顔を見ずに「サンキュー」と言って私は立ち去ってしまった。これ失敗。目を見たかったな。来年は頑張って目を見ること。
29日水曜日はメリーランド州でリサイタル。それが終わるとミラノに向かって帰国
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by nerdy | 2008-10-28 12:29 | マウリツィオ ポリーニ
ポリーニのリサイタル前日
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ぼくのママは「マウリツィオ ポリーニ、 マルリツィオ ポリーニ」とまったくもって煩い事この上なし。ぼくの名前までデブリックを止めてマウロに変えようとした時はオス界ボスのパパのバックアップで阻止に成功、、危うい所だったのだ。(携帯電話で撮影)

ポリーニのカーネギーホールでのリサイタル明日日曜日26日の3時まで あと1日に迫り、胸躍る今日、といっても実に長いアメリカ演奏旅行、ポリーニの体調や気分や精神状態など如何にと私は心配ばかりしています。ニューヨーク市では、ここ1ケ月ほど変な風邪が流行っているし、、、。

しかし昔の若き頃のポリーニ(私はポリーニを聴くようになったのは最近の事で惜しくも若いポリーニは知らないのだけれども)、そのポリーニが40代の頃のインタビューを読んだところ「病気の時の演奏は演奏でその良さがある」と言っていたのでマエストロともなると体調や気分や精神状態など全く影響ないのかも知れない。

ミラノからでは時差があるけれど今は同じ時間帯なので、これが非情に嬉しくて「今頃はピアノに向かっているはず」とか「結構ピアノをさぼってウロウロしているかも」「たまには外を歩くはず」とかで、普段は前方を見据えて猛進して歩く私はキョロキョロと周囲に注目したりタクシーの中を時々覗いたり、、、でも効果なし。明日の演奏とサイン会に期待、予想ピッタリで新しく出たショパンのCD販売があって、それにサインをしてくれる事になっている。ポリーニを近くで見て、しかもポリーニの両手がどれほど大きいか是非見たい。非情に大きいはず、そうでないと無理そうな部分もあるかも? だし、、、あの素晴らしい声も耳に出来たら最高だけれど、、、

シカゴのリサイタル大成功のリビュー、、「マラソンマン」という語彙からポリーニ最高調だった事が伺われる。ここをクリック
ボストンと20日のニューヨークでのコンチェルトやソロ演奏のレビューはボストン シンフォニーのレビューが大半を占めていて、しかもボストンでのレビューがニューヨーク タイムズのレビューにも使われている。
ここをクリック
明日は協奏は無く完全なるソロのリサイタル
ベートーベンのソナタ「テンペスト」と「熱情」
シューマンの「ファンタジーC」
ショパンのマズルカ
ショパンのスケルッオ 2番

あのポリーニの極限なまでに挑戦するベートーベンのソナタ演奏後、シューマンの第3楽章の余韻がまだ残っている時にショパンのマズルカからクレッシェンドしてスケルッオに入って終り、、、アンコールは、、、やはり ポリーニの力強いショパンのマラソンである事を願って、、、。
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by nerdy | 2008-10-26 02:33 | マウリツィオ ポリーニ
オバマとバイデン 対 マッケインとペリン
11月4日大統領選挙を間近に控えて選挙戦の醜悪化が行き着く所を知らない今日このごろ。
マッケインとペリンが目下集中しているのは、オバマに対する疑惑を国民に植え付ける戦略にあると見る。紳士的でない度合いがオバマとバイデンと比較して非情に低い。
しかし何事もそうだけれど国民心理が事を左右する部分が大きい。

討論は聴くし明日の火曜日も第二回目の討論があるから聴く予定ではあるけれども、マッケインとペリンの言っている事は醜いだけでなくウソの連発であり誠実さに欠ける。しかも70年代から建設が凍結されている原子力発電所を45カ所だったか43カ所だったか建設すると言う。しかも原子力は温暖現象に良い影響を及すと言う。

今度は原子力で所有権の確保。太陽熱エネルギーや風力エネルギーの資源であるフリー エネルギー、太陽や風は如何に独占できるのか。機器や部品では20世紀の石油狂気の大資本の集中は望めない。

そもそも石油資源にしたって石油は地球人皆に平等に配布されるものであり埋蔵国のものでもなければ、個人が所有するものではないと私はするけれども、個人所有の観念が20世紀と21世紀の戦争を起こしたと言える。

大統領選は民主党と共和党の激戦に見えるけれども民主党 共和党の違いは1%にも満たず、99%以上は夫々の代表を押す背後の激戦である。

第二次世界大戦後の冷戦状態以後、プレゼント デンジャーが頭をもたげる中、70年代以降は三極委員会組かデンジャー組かの激戦だ。

オバマ/バイデンはロッックフェラーやケネディーやクリントンやカーター、日本ならソニーの会長や三菱や日本銀行の人といった人達で構成される三極委員会が背後、マッケイン/ペリンはレーガンやブッシュといったプレゼント デンジャーやネオコンが背後、ユダヤ色が非情に強い。これで其の陣営の国内、国外に対する信念がハッキリと違って来る。

共和党副大統領候補ペリンに付いて回っているのがプレゼント デンジャーの議長であり民主党であるジョー リーバマン。熱心なユダヤ教徒であるそうだけれどもイスラエル国崇拝者でもある。「小さな政府」をかざして南部の人達を雲に巻いて票を獲得しようとしている。

しかしデンジャー塊であるブッシュ/チエーニー陣営ほど、アメリカの信条と違うリーダーの国を襲い、そこの国民だけでなくアメリカ国民などを数のウチにすら入れず、戦争によって大企業や少数の個人大資本家の富集中を優先して極少数の支配層と大勢の被支配層を作って其れを断固守る為のウソ八百であり、それによって国民をコントロールしてアメリカ国内を保つという経済観念の政府は史上始まって以来の巨大さである。これは外交にも同じ信条で行う。彼らの言うデンジャー、危険、とは其れである。

「アメリカは山頂に光り輝く世界の存在である」とレーガンが言ったけれども、内容がある実態のように思わせて儚い夢を南部や中西部の人達に抱かせる。騙される方にも責任があるけれども 狡猾さの度合いの違いである。

11月の投票日に、この陣営と生き写しの共和党候補を選ぶ人達は、ブッシュ陣営に自分に無い姿を委ねて夢を見ている、あるいは自分が支配層に属していると勘違いしているのではないかと思わせるフシがある。しかしブッシュ政権の悪さの御陰で国民は多少は賢くなった。

かといって三極委員会が必ずしも完璧では無い。しかし共産主義国家を望むのでは無い限りは三極委員会を私は選ぶ。ネオコン政府がした様な、9.11に係ったサウジやアフガニスタンに目もくれず石油が国営であるイラクを武力で攻撃して石油を英米がコントロールする、といった強行な考え方は無い。
三極委員会にあるのはPROJECTION OF POWER 力の投影という布石があるのでNATOや沖縄や南朝鮮やアジア各地の基地が強固になる可能性はある。

力の投影を目的にした布石という位置付けで鎮静が続くというのは完璧な在り方ではないし、そうしないと成り立たない世界地図そのものが間違っているのだけれども、それを言っても絵に描いた餅で、まず今の世界地図と人間の集合体の本質に対処するにはドチラがましか、という選択になる。

基地の為に犠牲になる住民や兵士の不謹慎な行動などから住民の反米感情が高まる大きなマイナス面もある。プラス面は取引で詠われている通り、アジアやEUの製品をアメリカ市場に自由に入れる事だ。それで経済が健康に保つとする。

その地から基地を撤退する時は、其の地からの製品はアメリカ市場からも撤退となり、アメリカは国内で物を作る時代に戻る事になる。

私の夢物語は、非情な危険を伴うけれどもアメリカは世界中に配置する兵力を全て撤退し、付き合うのはカナダと中南米にし、撤退してきた多くの兵士は国内工業農業に其の手を使い、国内に目を向けて、しばらく鎖国状態にする事、アメリカが世界の警察、世界のリーダーであろうとする事を止める事である。

アメリカが鎖国をしたら世界地図のあちこちで戦火と虐待と民族間闘争の殺し合いが今以上のスケールで始まり、まず一週間でイスラエルの国が無くなり、それに次いでドンドンと国が消えて行き、今の世界地図は変る可能性も無いとは言えない。

私は人間の集合で構成する社会を高く評価しないので三極委員会を妥当とする。
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by nerdy | 2008-10-07 07:56 | うっぷん