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ポリーニ大好きな方のサイトを発見、ポリーニのインタビューを邦訳してくれている。
またこのサイトでは、ポリーニをインタビューしている録画と録音がある。 音楽を聴くには録音が今イチだから無理だけれども、イタリア語でインタビュー中の様子やシャガレ声が聞ける。 イタリア語だから私には全く内容は理解できないけれど、問題なし。解る人はラッキー。 ポリーニのシャガレ声は、CDを聴いていても時々、演奏に録音されている。 演奏しながら、フォルテやフォルテシモなど、クレッシェンドに成って行く時に喋ったり 1小節ほどのメロディーを鼻歌で歌ったりする傾向、若い頃の録音24曲のエチュード集では全くないこと。愛嬌があると言っては失礼なのかも知れないけれど愛嬌がある。 ヴラディミア アシュケナージのバラード1番でも、気合いを入れる様な彼の声が入っている様な気がする。彼のは私は今の所、聴く事が少ない方だから、彼のラフマニノフの世界を聴いてみようかなあ、と思っているところ。 ▲
by nerdy
| 2008-03-25 06:14
| マウリツィオ ポリーニ
去年の秋からブログ更新ならず、ネット マナー最悪状態でした。
昨日の復活祭を理由に5日間の休暇を取って何十ケ月かぶりの体休めで取って付けたようなブログ更新。気まぐれをお許し下さい。 よく考えてみると、去年の秋に「iPod ナノ」を入手して、それ以来、ダウンロードした曲を聴く事に没頭していたと言った方が正解そうです。 iPod の音には非情に満足しています。 持っているCDやiTuneからダウンロードして、それも殆どがマウリツィオ ポリーニの弾くソロ ピアノ曲やオーケストラとの協奏曲、それを聴くのに全く飽きる事がない毎日と同時にマウリツィオ ポリーニに完全に片思いの恋に落ちてしまいました。 ポリーニが弾くショパンの「バルカローレ」を初めて聴いた日の夜中は、なんとベネチアの運河で先頭さんが漕ぐ舟にマウリツィオと私が仲良く二人だけでハッピーに乗っている白黒カラーの夢まで見た。 夢の中で私は全く無口で、彼が1人で熱弁していて、話しの内容は全く覚えていないのだけれども、彼に不釣り合いなガラガラ声ばかりが耳に残っている。彼の声は子供の時に扁桃腺の手術をしたからシャガレ声で、しかも私の好きでないテの声なのに、バルカローレの中で連続するトレモロの旋律のようだわと思いながら声をを聞いていて、その声が不釣り合いさが持つ不完全な美のように成ってしまっていて、もう完全に恋の病です。 1960年のEMI版、彼が18歳の時にオーケストラと協奏するショパンのピアノ協奏曲1番、これは、今のポリーニのピアノが持つ深淵さと高さと思索の交差の密度の濃さは18歳という若さだから幾分か薄いけれども、18歳まで歩んで来た道と、その道が彼を連れ出した場がズバリ、演奏に鮮明に出ている。 インターネットで知る限りでは、ポリーニは舞台に対して非情に恥ずかしがりで、特に若い頃は舞台であがってしまう傾向があり、神経が付いて行けないというのが彼の難関だったらしいけれども、協奏曲の演奏の出だしの底辺に其れがある様に思える。しかし其れは出だしだけで、後は聴いてのお楽しみ。 私はこれは1人の時にだけ聴く事にしている。何回聴いても其の度に涙ポロポロで人前じゃちょっと聴けない。 ピアノに対するポリーニの姿勢は今も変らず非情に真面目で誠実な事、しかも自分自身が如何に素晴らしい音波を送っているかの自覚がゼロなピアニスト。 この他、彼のショパンの中でバラード集、ノクターン集、エチュード集は傑作中の傑作、ソナタも、プレリュードも、、ポロネーズも、、、。 彼はショパンの民族舞踊曲マズルカとワルツは全く録音していないけれど、ひょっとして自分のものとして感じ取れないから避けているのかも知れない。また夢を見た時に今度は私は無口で居ないで聞いてみるつもり。ロシアのラフマニノフも手をつけない所をみると、自分のものとして感じ取れず、構えて弾かないとだめだから避けているのかも? これも聞いてみたい。 私にとって何故にポリーニの演奏が比類の無い素晴らしいものとなって響くかというと、ポリーニのピアノには虚飾というものが一切無い事、彼ほど虚飾の無いピアニストは居ないのではないか。そして演奏が非情に純真である事。更に演奏者の感情というものを前もって構えて意識しているようでは無く、弾き始めてから自然と湧いてくるもの、しかも感情は固定したものでも決まったものでもなく常に変るものであるとしている風である事。変らないのは彼のスタイル。これは個人が出る事だから そうなるのかも知れない。 結果、ポリーニの音や演奏が思索の深い、そして、その思索をまるで無線交信のように流しているかのような、しかも聴衆に送るというのではない極地に入ったのでは、と私は思う。だからコンサートホールで生を聴いていてもエンタメ感ゼロ、そこに有るのは非情に孤独な姿と彼自身の内部が暴露されている状態が音になって充満している、といった感がする。 ポリーニの演奏は「冷たい」「機械的」「感情欠乏」と言う人達も多いけれども ポリーニほど演奏者の内に湧いてくる思索、感性そのものを音に彷彿させている演奏者が居るだろうか。 この10月にポリーニが再度、カーネギー ホールに来て2回の演奏会をする。 チケット販売開始は9月。 私は、また独りで聴きにいく予定にしているけれど、私から無理矢理にポリーニの録音を聴かされた夫は、「僕も一緒に行く」と言い出した。聴くのに気が散りそうで少々心配、私が片思いしている人が弾くからというのは全く関係なく、別々の離れた席にしようか、そうも行かなそう。 ▲
by nerdy
| 2008-03-25 00:50
| マウリツィオ ポリーニ
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