Nerdyな人が増えて来た喜ばしい日々
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お知らせ
明朝、日本に発ち、一週間は日本なので更新は一週間休止します。
父の49日の納骨です。儀式とはいっても、埋葬は少々、深刻感あり。しかし忌明けでもあるので新しい節の始まり感もあり。
京都は紅葉の真っただ中であるのに、あの燃えるような紅葉を愛でる時間が持てそうに無いのが残念至極。ライトアップを遠くからでも見れたらラッキー。
帰ったら、また好き勝手な事を書く事にします。
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by nerdy | 2006-11-22 12:06 | ご挨拶
アアでもない、コオでもない
11月といえば、こっちは狩猟シーズン。12月半ばまで続く。
最初の2週間ほどは弓だけで、今はライフル。
この弓は日本の弓道の弓とは全然違って、まさに武器でハイテクの弓と矢。それもスチール製の小型。見るからに恐ろしく見える。
11月半ばから1ヶ月間は良い季節だけれど、知らない所はウロウロしない事にしている。あわて者が居たらヒトを獲物に間違う可能性があるし。

遥か昔に狼やクーガー退治をし過ぎて今は少なくなっているから鹿と熊が増えすぎてエコーシステムが狂っているのは確か。

熊は、、と言っても苦手でない人も居るし、、、といっても熊は鮭ばかり食べている訳じゃくてヒトをも襲って食べる。しかし熊に鹿を襲う速さは無い。ノロい人間を襲った方が賢いと言えば賢い。

鹿は、鹿が目を細めて美味しそうに草や葉っぱを食べていたり、水を飲みに来ていたら、狩人は射て、それを肉屋に持っていってステーキやミンチにしてもらって食べる人が居る。チーターやライオンが鹿を捕まえてムシャムシャ食べるのと同じで、私は別に悪い事とは思っていない。しかもソオは簡単に射れるものでもなく、それに沢山の獲物を山の中から長距離を運ぶのは重すぎる。

個人的には私は、この世の終わりが来て食料を買うお金もなくて、お店に行けば食べ物があるといった状態でなくなれば、ニューヨーク市でウロウロするリスや鳩を捕まえて食料しない保障はない。あるいは山に迷って出られなくて飢えに飢え、火種もなければ如何にするか?

夕方の散歩に出た時に、「何かない? ん?」といった感じでリスや鳩が寄ってくると腹が立ってくる。機嫌が悪い時は脅かす事にしている。人間様の面目は全くない。スーパーやお店があるし、それにマダ御陰さまで飢えていないから手出しはしないけれど、それでイイ気になって人の歩く前をノウノウと歩く、となる。
投石で射止められそうな様子をしている。

あの鹿を見てご覧、あの鹿を。あんなに可愛い動物が射られて、鳩やリスは大道を好きにのさばっている。しまいには、一匹のリスがウチの窓に備え付けてあるエアコンの下の隙間にはめてある太い木材を歯でガリガリやって穴をあけて冬の住処に備えている。といっても、あの愛嬌のある目を見れば、居候させてやる、という気になるから、これまた癪。

しかし鹿。あの動物は私は好きだ。コッチが一所にジッとして動物の出現を待っていない限り、つまりコッチが動き回っている限りは、野生動物はコッチが気づく前にアッチが先にコッチに気づいて様子を伺っている。しかも、こんな事を言うと性差別だあ、と言う人も居るだろうけれど、オスよりメスの方が人とのコンタクトを持つ。そう私は決め込んでいる。

熊は知らないけれど、少なくとも野生の鹿や馬や狼の類は人とコネクトする事が出来る。肉食の狼が出来るのは、これは以前、人と非情に近く生活していた名残で、アッチも「変な気持ち」と思っているのかも知れない。しかし狼に遭遇するのは滅多に無く鹿ばかりと言っても過言ではない。

鹿は一頭の牡鹿を先頭に群れを成す。牡鹿は少々、警戒心が強いように見えるし、人どころの騒ぎではなく、まして牡鹿は狩猟の対象になるからか何なのか、サッと飛んで身を何処かに隠す。しかし牝鹿は3−4頭でチョッと離れた所から面白そうにコッチを観察する。

時々、チラチラと何気なくアッチの様子を気にかけながらも、コッチはコッチで草や花や樹を観察したり、空を見たり、風の方向を調べたり、地面をほじくったり好きな事をしていると、何をしているのだろうか?とアッチも興味を持ち出す。

1人先に行けば行くほどに、群れを離れては駄目なんとちゃう? って感じでアッチがコッチに歩み寄ってくる。樹が邪魔をして双方に見えなくなるとアッチは樹の陰から首を長く出してコッチを見ようとする。

そうやって寄り道している牝鹿達に何処に隠れているのか見えない牡鹿が、しかし鹿の声はあまり良くないけれど、ゲーッといった大きな一声、「おい、待たせんな! 置いてくぞ!」だろうね、多分、その一声でメスの鹿達はアッと言う間に飛び去る。

つまり、アッチも良く知っていて、禁狩区域に集まって住む様になる。だから狩人は獲物無しで帰宅になる。ハイウエーで特に夜に鹿が越えそうな所に待機して、鹿を狙って車を当てた方が速いかも。

確かに鹿が増えすぎるのは問題に成っているけれど、熊も増えすぎている。
牝は狩っては駄目という事になっているけれど、熊は如何にして牝か牡か分かるのだろうか? 牝でも大きな熊も居る。

中には眠り薬を撃ち込んで避妊手術をするとか何とか言っているけれど、チョッと行き過ぎと思うね。

狼が増えて来ているし、西海岸沿いの山にはクーガーが戻って来ているから、だんだんとカナダ国境沿いに縄張りを広めて東部の山にも戻って来て、野生動物に人間が餌付けをせず、人工密度が低いなら何もソオいう所を人間の住居にせず、そういう所に入って行くのは自己責任で、狼は狂犬病で無い限りは人を襲わないとしてもクーガーや熊に襲われる可能性に覚悟して入る事にして、ギャーギャー言わず、そもそも山火事が起こる中に引っ越したりして、山火事が起こるから数少ない住民の為に樹を切って禿げ山にして、というのでなく、いくら個人の好き勝手だといっても、そういう所に家を建てる事がソモソモ間違っている。熊や狼に飼い犬が襲われて食べられても文句いう方がオカシイ。

帰って来たら熊がプールの中で泳いでいた、テラスに座っていた、だから撃ち殺せ、ま、熊が泳いでいたり、座っている限りはいいけれど、小さいサイズの子供は襲われる対象になる。これも人殺し熊だから撃ち殺すというのも変な話で、縄張り競争なら堂々と縄張り競争をするべきで、相手は爪と牙で襲ってくるのだから、コッチも爪と牙で丸腰で襲い、それが出来ないなら、そういう所を常設の住処にするのは知っての事と覚悟。

これは、人間間にも同じ事をする。自然の資源や労働力に豊富な土地、それも発展途上国とされる国に豊富な場合が多く、資源さえ獲得できれば後は荒れ地どころか、鉱床から出る有害ガスは放りっぱなし、廃坑になったら其のまま放りっぱなしで、母乳は有害な乳になる。
目に見えないから無い事に出来る。それと共にドンドンドンドン、数少ない企業だけに関心と集中が集まり、それが経済力という尺度に使われるようになる。

生活水準とは何だろうか。
ミドルクラスと分類するヒトも居るけれど、それすらもソオ勘違いしているだけで、乞食も一日一食の食事にありつけたらミドルクラスと思っているかも知れない、と言った人が居る。これは当たりと思う。

アルマゲドンが来る〜と言うアホがいるけれど、今は人工のアルマゲドン真っただ中に居る。
そこで私は別に八つの頭を持つ八岐大蛇を退治できる英雄でなくてもイイわけで、選択に難題が増えるけれど、自己の選択で決まる冒険と探検であると思っている。
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by nerdy | 2006-11-21 02:00 | うっぷん
中間選挙
今年の投票日11月7日の中間選挙は、アメリカにとって大切な日。
NY州知事はスピッアー、州の弁護士は元州知事クオモの息子クオモ、上院議員はヒラリー クリントン、財政を受け持つコムトローラーはハヴァスィ、、、
全員デモクラットで、私が投票した人が全員当選。一般的な私である。

全米に渡って、1994年以来、始めて下院の過半数以上をデモクラットが席を持つ事になった。

今は上院で接戦中。ヴァージニア州の上院議員がデモクラットに選出されると上院も過半数をデモクラットが占める事になる。今、投票数を数え直している。
Shit hits the fan. という比喩がアメリカにあるけれど、ウンコが扇風機に当たった様子を想像したら正解。
遂に多くの人の臭覚が鋭敏になり、悪臭を嗅ぐ事が出来たという事になる。随分と遠回りをしたものである。

その最中にラムズフェルド国防総省が辞表を出して辞める事になった。新任に元中央情報機関の長官ゲイツ氏こと門さんが選ばれて、大統領は文句を言わずに承認、ゲイツ氏は親父ブッシュの人だし、トライラテラリスト、となると行使の仕方に大きな違いがある。

どちらにしても、アメリカも変化期中。 西陣か東陣か、応仁の乱の如し。

少なくとも、世界が狭くなった現実に一国主義の、しかも危険を煽って生存するのは時代遅れであり、しかも汚い。

どちらにしても2008年の大統領選までの2年間に何が出来るかお楽しみ。

といっても経済倫理が変わらないのなら大して変わらないかも。
そもそも企業や製造にコストを低くして消費価格を低くすればイイといったのは眉唾である。
ネバダやアリゾナの水の無い砂漠にゴルフ場やスパや住宅を建てまくるのも変な話。もっと変なのは沢山の人が家を買って移り住んで不動産ブームな事。

私は少額のヘソクリで配水管のパイプラインを作る子会社の株を買った。倒産して元々の少額。SF小説のように、将来はアメリカで水戦争の市街戦。石油が無いより水が無い方が生命に係る。

何でもかんでも作りさえすれば、後の汚染や健康無視や無茶苦茶行為のコストは消費価格に入っていないというのは曲者である。ヤケみたいに外にコストを投げ出すのは経済のしくみではあるけれど、もし、車も木材もマクドナルドもスターバックコヒーもケンタッキーフライドチキンも何もかも、全てに及ぼす悪影響のコストを各産業に責任を持たせたら消費価格はもっと高いはず。そうなると売れないから、公害や病気の元になる事は減る方向に行くか行かないか? 行けば消費価格は当然に低くなる方向に行く? 想像は自由に巡らす事が出来る点がイイ。
先ず行使しないのは確実。私が実業家なら、そんな事を行使されては高くついて困る。
消費者である私には選択に自由があるので楽。

個人の意識、という時代は終わったとは私は言わないし、個人は常に流動し新しくなって行くものではあるけれど、個人の時代は終局を迎え、今は既に新しい時代に入った事をヒシヒシと感じる。オチオチしていたら其れこそバスに乗り遅れるのがオチのオチである。
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by nerdy | 2006-11-09 12:30 | 日記
The Best American Science Writing 2006
The Best American Science Writing 2006
出版社:Harper
編集者: Atul Gawande

本の題から受けた印象は、難しい数式や困難な専門用語で表現した本かしら、というもの。
「本の内容は表紙で選んでは間違いが多い」と言われる典型の本だ。 数多く集まった科学関係者から2006年度の書き物として選ばれた21人のものを載せている。
興味が湧いたものから順序不同に選んで読めるのもなんともイイと言いながらも今だ読み中。

2007年版も公募している。
送り先
Jesse Cohen
c/o Editor
The Best American Science Writing 2007
HarperCollins Publishers
10 E 53rd Street
New York, NY 10022

2006年版の中で面白いと思ったもの。

My Bionic Quest for Bolero by Michael Chorost

小児伝染病の後遺症で聴力が弱いながらも補聴器を使ってラベルのボレロを聴くのが好きな人が、育つとともに益々聴力が弱まり、補聴器の効力が追いつかないので好きなボレロを聴いても感動が鈍って行く。さあ、大変で、脳内で聴力を司る複雑な神経網にCochlear implant という語彙が使われるコンピュータチップを埋め込み、なにやらハイテク機器の周波数を改善して、経路も増やし、専門的な行使の結果、遂にボレロが素晴らしく響くようになった、という話。

ヘレン ケラーが言った事を次の文節で載っている。

もし聴力が奪われるのと視力が奪われるドチラかを選ばなければならないとしたら、私は視力が奪われるのがイイ。視力が無いとモノから遮断されるけれど、聴力がないのは人々から遮断される。

というもの。

視力、聴力が有るのが当たり前になっている私は其れを忘れてしまっている事が多い。視力聴力だけでなく呼吸もソオだし、肉体が起動している全ての機能が当然といった結果になっていると言える。考えれば睡眠中ですら一日24時間、週7日、心臓から脳から何もかも肉体は働き続けている訳だ。しまいには日単位で内臓内の皮膚まで蛇や甲殻類がカワを脱ぎ捨てて新しくなるのと同じ仕組みで新生している。つまり、何かの本で誰かが書いていたけれど、2−3日前に撮影した人物は2−3日後も同じに見えるけれど実は別人。SFか恐怖映画の世界。そこに私という大きな枠が威張っている。

当然、私は大きな価値があり大切な生き物であるけれど、これも係る人々や森羅万象のお陰でもある。

石鹸の泡の湯船に浸かって(シャワー カーテン無し)、怪談の話を製作する事にする。
「腕さん〜〜有り難う〜〜、指さん〜〜有り難う〜〜、足〜〜さん〜〜有り〜〜難う、この正常な頭さ〜〜ん有り難〜〜う、正確な時計の心臓さ〜〜ん有り難う、、、という調子で摩りながら労う。

Earth Without People by Alan Weisman

これ傑作の傑作。
もし地球に人類が居なくなるとドオなるか、という仮説を立てて説を展開している。

アスファルトやコンクリートは割れ目が出来て其処に植物が生え、遂に根が押し上げて潰し、森林や草原や都市もウッソウと樹々や野生植物が育ち、道の幾つかは河と化し、動物はエコーシステムに従って生き、中には其の土地に新しい種が其処を陣取り、土地や水の汚染は後退しながらも、猛毒は何百万年以上も地球に残り、、、、

この本は、合宿などで夜に怖い話をして人を怖がらせるのが好きな人には良い材料になるのは間違いない。

非情に面白い説ではあるが、現に秘境の遺跡の中で人間に興味を持たれないものは保存されずに廃墟化してジャングルの中にヒッソリと跡を留めて動物の縄張りになっていて、次第に消えて行く事実を観ても、単なる説とは判断しかねる。
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by nerdy | 2006-11-09 02:09 | 読書
休み明け
先月、父を亡くして、個人サイトのブログなど更新をする気が全く無い状態であった。

親が死ぬというのは誰にとっても平等にあり、考えれば当たり前の事ではあるけれど、どうも私にとって親はいつまでも親で肉体的に不死という錯覚が強い。

生きていると色々な人の様々な死に合う。しかし死んだらおしまいと私は決めつけた事がない。死んでからのお楽しみにとってある。死んだ事がないモノに分かる訳がない。

生死が危ぶまれる境地を彷徨った事がある人の話は実際に聞いた事がある。本で読んだ事もある。私は生死を彷徨った事は記憶する範囲では無い。聞いたり読んだりする限りでは生死を彷徨う次元は、生命の誕生の次元に近いように思う。

しかし戒名などヤケに高額だ。その内訳に興味があるけれど、ま、どおでもイイ。私は何も知らないし、お坊さんは死の世界や死からの救済にも専門でもあるから、私は疲れる無駄な抵抗はしない主義。

まだ忌明けしていないけれど元気になってきた。忌中といっても服の色などにコダワル気は全くない。

もとの様に元気になる力になったのは週末に行く山や深い森林である。
いつも脳味噌の右半球と左半球のバランスがとれた思考が生まれると確信する。
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by nerdy | 2006-11-09 01:46 | ご挨拶