Nerdyな人が増えて来た喜ばしい日々
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<   2006年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧
香港ボートレース
近所の公園 Freshmeadow Corona Parkでは夏の恒例行事の香港ボートレースが土日の二日間開催されたから、日曜日の朝食後、ふらりと夫と一緒に歩いて覗いて来た。
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レースが終わって戻る所。

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すごい人出。出店も出ているけれど、ものすごく長い列。感心したのは皆、のんびりと長い列なのに並んで順番を待っていること。

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少林寺拳法の演舞をする事になっている人たち。見たかったけれど、なかなか始まらない。

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チェッカーというアメリカの骨董品の車。骨董品の車の展示はこれだけ。アメリカで骨董品の車を運転する同好会があって、ピカピカに光った古い車が何台も並んで道路を走っていったり、ズラッと揃って路上駐車している光景を時々見る。手入れがすごく行き届いていて、部品も苦労して入手したり自分で作ったりすると聞く。


私の住むクイーンズ郡は、人口調査によると、アメリカで1番、様々な人種が集まって住んでいる所。言語も100に近い言語が話されている。ここで自営業をする人も居れば、ベッドタウンに使ってマンハッタンなどを中心に通勤する人も居る。台湾や香港からの人が沢山住み着いている。中には中国本土からの人も居る。

この公園は、もし夏期オリンピックがNY市に決まっていたら水上競技に使われる所だったので、もし決まったら大騒動の車ばっかりの街になるから大変だわ、と思っていた公園。昔々には万博会場に使われたので残骸の塔が残っていて、メン イン ブラックの映画の撮影にも使われた。

かなり広い公園で、北のはずれにはUSオープンテニス会場があって、その隣にはNYメッツの野球場があって、その先の海の近くはラグアディア空港になっている。

NYの日系人会が100本の桜を寄贈して、その桜が結構大きくなってきたので毎春、ここで桜祭りが開催される。花笠音頭会が花笠音頭も踊る。

面白かったのは、この行事の進行係の放送が、ものすごい英国なまりの英語である事。あまりに興味があるから、一体全体、どんな姿をした人か探し回ったところ、高台に二人の白人が居て、白いリネンのズボンとシャツを着て、探検隊員が被るような帽子を被った男性がマイクを使って流している。

香港から来た中国人なら英語が流暢のはずだから中国人が放送してもいいのに何でだろう? で、ちょっと私は機嫌が悪くなりそうだし、コーヒーを煎じて入れたくなったので家に帰る事に決めた。
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by nerdy | 2006-08-17 11:08 | 日記
世の中知らないね〜っか
夏と外でのバーベキューは付き物。ウチは、一軒家じゃないから庭もバーベキューに使う用には出来ていなくてデコレーションだし、バルコニーでバーベキューは禁止だし、犬を禁止は関係ないけれど、何もかも規則が厳しいから、といっても私が規則に沿う姿勢は大したもので、ゴミの出し方など優等賞を頂いてもいいんじゃないか、と自負するぐらいですが、、、
バーベキュー。
娘達が小さい頃は公園に物を運んで、そこで花火をしたりバーベキューをしたり、隣でしている食べ物の方が美味しそうにみえたりしていましたが、最近は義妹のところ。広い庭があるしNY市内じゃないから閑静な所だし。

I子と会う予定だった日なのが、I子も一緒に連れて来なさいよ、と誘ってくれたので、一緒に行く事にした。ついでに息子となった我が息子も。

よく飲んで食べた。ローマから帰国したばかりの次女も交えて。いいよね、こういう温かいファミリーの集まりは。

しかしI子はよく飲める。気がつかなかったけれど白ワインを1瓶、1人で抱えて飲み干したそうだ。顔色が変わらないのも大した物。私の限度はグラス半分でダウン。ウオッカで割るグリーンアップル マティーニや日本酒や焼酎なら、かなりいけますが。

I子は「でんでん虫は、世の中の事、何も知らない。知らないよね」と酔ってクダをまきだす。

これは、よく人から言われてきた事で、親からも言われて育ったし、夫からも時々言われるけれど、本人はかなり世の中の事を知っていると確信しているのですが、どうも、人はソオは思ってくれない。まるでアホ扱いだわ、コオなると。

なんでだろう。考えてしまう。かなり世の中の事を知っているはずだし、別に他の人が世の中の事を知っていて、私は知らないと思った事もない。

人並みに人生の辛苦もなめたし、年頃には人並みに男性に不自由はした事ない反面、辛い事だって経験ずみだし、当時は日本でアメリカ人と結婚は異例扱いだったし、それで何事もなかった訳じゃないし、親子関係だって苦労も人並みに味わったし、アメリカに時々ある人種差別だって知らない訳じゃない。職業という世界も知っている。

その中でもI子が気にする1番大きな問題は人種意識が強い事の様に思う。
人種意識の強い人も居る反面、無い人も居る。強い人の事を考えるのもイイけれど、それは、強い人が考える問題でI子が考える問題ではない。 まして、人というものは変えられるものじゃない。自ら変わりたい意外は、変わるものじゃない。
つまり、私には考える価値の無い事であるというだけの事。

結婚して子もある私と独身でズッと来ている I子の、二人の人生のお送り方の違いもある。私は別に特に結婚を第一に選択した訳でもないし、I子にしても独身を特に選択した訳でもないに違いない。

私はココ数年は、結婚以来ジックリと奥さん業を味わった事がないので、それに主流を置いている。今までは男女の共同生活みたいな所があって、その狭間に娘達も育った。あれで良くまともに育ってくれたもの、という感謝はある。この選択肢が私に可能なのも、夫が金銭的にも養ってくれるからという贅沢があるからだ。独身で、しかも慣れた外地生活とは言っても、まず自分を養って行く事が必要になる。もう休憩したい、は難しい。

しかし、両方とも、それぞれにイロイロ在る事で、隣の芝生は青く見えるという事に近い。

そういうモロモロ以上に、例えば人種問題にしても、人種意識の強い人個人の問題に何故に自らにシミを付けなくてはならないのか? あるいは、人生、いろいろ、そりゃ、通過中は地獄で、後からでも口惜しい事は私にだってあるけれど、それがどうした、という風になる。過ぎた事だ。しかも、そうである必要があったならソオなっていたはずで、今の方がイイのは確実で、それは生存の保護の法則が底辺にあったのかも知れない事で、私はソオ考えるタチだからというだけで、世の中を知らないという事にはならない。この世で1人がこの世を知らないなら全員、知らなく、1人が知っているなら全員知っている。人は見かけによらないというだけで。でもI子は私の大好きな友人の1人であるから、何を言われても感情が害されない。何でも心地よい音楽に聴こえる。

「ちょっと〜、I子まで私は世の中を知らないって言うよ〜。ちょっと〜」というと
娘達は顔を見合わせて笑っているし、新しい我が息子に助けの目を向けても面白そうにニコニコしているだけ。義妹夫婦は「今頃、分かったの? 私など最初から知っている」って顔しているし、ちょっとコレ、知らないのは私だけで皆、私を世の中を知らない人と思っていて、言ってもしょうがないから、そのまま受け入れてくれているのか? そうなら私は根っからのアホ。

私を1番知っている夫は
「イイからイイから。世の中がここで、デンデン虫はアッチにポツンと居て、世の中に居ると思っているだけで、イイって其れで、構わない構わない」とマルでそれじゃ幽霊。つまり、I子に同意で、多数決で全員一致という事になる。
夫は結構、自分の奥さんの事をソオ思っていたいファンタジーかもね。

人って面白いよね。これは、分かっているようで、人というのは分からない、という事だと思う。これも私の思い込みか?
そうなら私の脳内現象がソオなのだから、ソオで、ソオなのだ。
だけど気違いは自分を気違いだとは思っていない、というけれど、そのテだったらチョッとまずい。どちらにしても、私は人や世の中に期待してないから、知らなかったとしても、サホド、私は問題ない。
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by nerdy | 2006-08-10 00:30 | 日記
避けられない事実
世紀を越えて闘争が耐えない中東では、最近、更に酷い事になっている。
ハズボラ党が3人のイスラエル兵を拘束した事対処にしてはイスラエルが採った手段が大きすぎる。捕虜の交換はイスラエルのやり方では無いというのは弁解にならない。
しかし、こればかりは、来る年も来る年も世紀を越えて過言すれば数千年間も神経の逆撫でをし合って戦争漬けである同士の心情を憶測は出来ても苦悩の本質に触れる事にはならない。

停戦が要求されている。しかしイスラエル側だけに要求されている。
子供を含むレバノン市民に多くの犠牲者が出たのは双方が望んだ事ではない。 誰にとっても実に厭な気持ちになる事件である。イスラエル兵にとっても其れは同じ事だ。

停戦を要求するなら両方に同時に停戦を要求するのが当然だ。シーア派のハズボラ党といえばレバノンで議会に席を置くまでに成長した党である。それへの要求の方法は幾多もある。しかし、そんな事を言っていても、そうしないのだから現在進行中の解決にはならない。しかも今は、結局は当人同士の問題と放っておくのは物事を悪化させる非常に危険な時代に入っている。レバノンにとっても迷惑な事ではあるに違いないけれどパレスチナ問題に許し難い点がある。

停戦を片側だけに要求するのは1番簡単な事だけれども、それで停戦できるなら、とっくの昔にモメ事は解決しているはずだ。人種、宗教、主義、思想、階級、感情、国などの概念に基づく優劣意識が底辺にある考察や、どれが優位に立つ、どれを従属させるといった闘争、階級をひっくり返す、といった、そういう事が消滅した地域というのが出来上がっているはずだ。其処からグローバルに新しい時代が広がりつつあったはずだ。そして「平和、平和」「戦争反対、戦争反対」と叫ぶ事も無くなっていたはずだ。しかし無くならない。
「平和、平和」「戦争反対、戦争反対」と叫ぶ側にも己を探求せずに他を見て他に判断を下す事を選ぶ。

私は時々考える。本当に人というものは平和平等の意識、そして人類は全て同じであるという意識を望んでいるのであろうか。私達は平和を望んでいるけれどアノ人達は平和を望んでいないという、そういう思考だけに過ぎないのではないだろうか。或はアノ人は出世した偉い人で、アノ人は氏が良く、アノ人は育ちが悪く、アノ人は元何々家の子孫で、アノ人は下品で、アノ人は上品で、アノ人は浮浪者で、アノ人はホームレスで、アノ人は気がふれていて、、、という事で己のアイデンティティー構築をする。あるいは不公平に逆差別をする。アイデンティティーという訳の分からない事が大切と勘違いする。昔に流行ったルーツという語彙の解釈も千差万別になる。或は己は平和を望んでいると思い込んでいる。平和が無い危機の環境に居て平和を渇望するのは簡単な事だ。誰でもソオなる。
しかし、本当に人間というものは平和を持続出来る生き物だろうか。

多分、平和を維持できる生き物であろう。
しかし、己が立つ境地の選択方法によって行動を起こしては事を更に悪化させる事がシバシバだ。

マルチ ラテラルの国際規模で停戦を実現する方向に進むのが妥当であろう。彼処は何をしても何を言っても殺し合いをしたい低能者どもなのだから、全滅するまで殺し合いをさせておけばいい(と私は以前はソオ思っていた)、と思える時代はもう無い。今は非常に危険だ。だからといって単一国家が単独で行動するのは時代遅れもイイところである。
石油欲しさに日本が起こした大東亜戦争や、現アメリカ政権の今までが其の典型である。

エコノミスト誌(7/22−7/28号)のLeaders 欄は「頼むからアメリカよ、一刻も早く介入して頂戴」で文章を終結している。大英帝国の「荒城の月」は呑み会かカラオケだけにしてほしい。こういうのは、もう沢山で消化不良を起こす。

仲裁に入る側は停戦の要求を両方に同時に行うものだ。片方にだけ行うのは、そこに囚われた思考、主義、利害意識がある。或は友好国から出る忠告にも利害意識が大きい。
しかし、仲裁には、仲裁に入ってからの責任というものがある。入ってからドオする事がアメリカに望まれるのか。イスラエルに制裁を設けるのを望むのだろうか。そうなら、つまり物質制裁である。そういう次元なのである。そういう次元はもう遥か昔に終わった。

1948年にまでさかのぼって、パレスチナ不在の国連の強引な決定に問題が発祥しているとするのも、もう時代遅れである。

何千年も前からの事を辿っても、表象は理解できても、其れだけの事である。

国連でフランスが率いる多国籍軍を国境沿いに入れる話がまとまらないのも当然の事。入れる、入れると言うのは簡単だけれども入れてから何をするのかの決定に時間が費やされている。非常に困難な事であるのは明瞭である。

二手に分かれて一方はイスラエルに矛先を向けて「さっきから何やってんの? もうイイ加減に止めなさいって」と言って、一方はハズボラ党に「さっきから何やってんの? もうイイ加減に止めなさいって」と言うのだろうか。仲裁に入った国連軍を交えた銃撃戦になる懸念が思案されている。

日本の終戦の様に鶴の一声でサッとイトも簡単に武器を捨てる不可解な現象は期待できない。あれは実に不思議である。鶴の一声にスゴい効力が在った事になる。あれが無ければ終戦を迎えても日本のアチコチは、今のイスラム世界に見る外力介入の結果以上に深い闘争が日本にも内国で続出して、今の日本は無かった可能性もあると言っても満更間違いではない。

イスラエルは国連の決定で建国された国であるから、ハズボラの本拠地を占領して国連介入を待つ姿勢を採っているのは理解できない事じゃない。
あのイスラエル建国も、国連だけでなく、ユダヤ人内の分裂による思惑もあった。
パレスチナ人にしてみれば、2国に分ける事に合点がいかないのは当たり前の事。
しかも一緒に平和に暮らせ、と要求する方は他人事のように考えている。

そういう双方に気の毒な状況に、集団を作ってVigil(ヴィジル) もイイ。冥福を祈るのに独りよりは大勢がイイ人はソオすればいい。思いを内蔵しては健康によくない。初対面の人などとも話し合いの場が出来てイイ。ミーティングや集会は掃いて捨てるほどの数であり不足しない。

しかし、レバノン市民の犠牲者の冥福を祈るのが目的なら、必ずしも集まる必要はない。冥福を祈るのではなく抗議で集まるなら集まる場所を間違えている。

時には独りでの葛藤や苦悩、そして其処から起こる体験が各人に必要である。本や人の話は参考になっても其れだけの事だ。そこに個人の答えは無い。

日本の神道、仏教も含め、全ての宗教、全ての民族意識、全ての文化文明、全ての聖典教典、全ての国、全ては人間が作ったものである。体験話も其の人の体験話である。ソオ言うものを信じる事が問題を作り出している。その中で優劣を付けるのである。そういう時は何をしても地上の癌になるだけである。

国連介入で国連加盟国や各人が何処まで新しい視野で臨めるようになるか、アラブ諸国で何処までイスラム教内の権力闘争に終止符が打たれて新しいものになるか、イスラエルとイスラム間で何処まで変わるか、世界の警察になっている今のアメリカがアメリカ独自の意識に何処まで忠実になれるか、企業資本主義が何処まで自己責任を問うて今までの成金主義の無茶苦茶行動を変えるか、また他国の中では全く自国の外で何をしているのか考えた事もなく、更にその両手が血に染まっているとも思わない、とっぷりと首まで現在の問題に浸かりきっていてソオだと知らない国など、それら全てが今までに無かった土台に立たないと、今のままがズッと継続していっても驚くに値しない。
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by nerdy | 2006-08-04 02:16 | うっぷん