Nerdyな人が増えて来た喜ばしい日々
by nerdy
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
リンク
最新のトラックバック
アバド&ポリーニのノーノ..
from クラシック音楽ぶった斬り
ペライア&メータのショパ..
from クラシック音楽ぶった斬り
ポリーニ/ショパン・リサ..
from クラシック音楽ぶった斬り
ポリーニのドビュッシー:..
from クラシック音楽ぶった斬り
アシュケナージのシューマ..
from クラシック音楽ぶった斬り
ブレンデルのシューマン:..
from クラシック音楽ぶった斬り
ポリーニ&アバドのブラー..
from クラシック音楽ぶった斬り
カラヤンのシューマン:交..
from クラシック音楽ぶった斬り
リヒテルのシューマン:ピ..
from クラシック音楽ぶった斬り
ルービンシュタインのシュ..
from クラシック音楽ぶった斬り
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2006年 05月 ( 5 )   > この月の画像一覧
日本行き
明日の早朝、いよいよ日本に向けて長旅に出発!

今回は東京は上空を素通りで関西に集中。実家に行く前に梅田のホテルにしばらく滞在して懐かしの場所を闊歩します。

丁度、今年は日本出張中の夫のスケジュールと私のスケジュールが合って日本で2−3日一緒に落合えるので、私は夫の部屋に居候して、そこからウロウロする予定。
渡米して以来、今まで二人のスケジュールが合ず、一緒に日本の地を踏んだ事が無い。27年ぶり。残念ながら金曜日の平安神宮の蒔能は都合により行けなくなってしまった。

私は17年間帰省しなかった時期があるので、これが私には日本が外国みたいに見える大きな原因になったようだ。それに帰省しても毎年帰らないから日本で何事もパッと反射的に出来ない。オカシイなあ、確かココから行けたはずなのに、何処に行ったのだろうか? 道案内やサインも見慣れていないからウロウロウロウロ、という事になる。もう、こうなると犬猫が直感で動き回っているのかに似てくる。犬猫ならオシッコしながら、臭いを付けながら、と、道しるべに出来るから未だマシ。

なんといっても困るのが駅の路線図と小銭の使い方。
反射的にハイッと出せるのはお札だから、スグに其れを使う傾向になる。おつりを確かめるなど、問題外。

どんどんどんどん小銭が溜まる。そうなると何時かは小銭を使う時が来る。この時が問題。反射的にパッと出来ないで考え込んでしまう。

一度、自動販売機の前で手の平に乗った小銭を見ながら思案していると、何処からともなく優しいオジさまが肩越しに
「どうしたの? 何か買いたいの?」って声をかけてくれた。街で日本語が耳に入って来るのに慣れるのですら時間がかかるから訳もなくボケーッとしてしまう。しかも咄嗟に名詞の単語が出て来なくて「コールド コーヒー、、、アイス  コーヒー、、冷コー」と連発になる。

まさか日本に着いて間がない人とはオジさまも知らないから、
「それはね、ホラ、何々円で、コレとコレでホラ、何々円だろ? コレをココに入れて、オジさんがしてあげようね。ホラ」って言って、私は、そうだ、缶コーヒーだった、がやっと飲めて、 オジさまがニコニコ顔で「よかったね」って言うのよね。また、そういう時に限って「ありがと」しか私は出ないとくる。だいたいからして頭を下げて挨拶する事を忘れてしまっている。直立して「ありがと」じゃ、我ながらまるで子供だったわ、と思ってしまう。

ドオ考えても優しいオジさまは「オツムがちょっとボケーッとしたまま大人になって、気の毒に」と思った可能性が非常に高い。

こうなったらイサギ良くボケーッ、キョロキョロキョロキョロしかないわ、しょうがない。

90歳に近い両親が居る実家に着いてホッと一息入れる事になりそうだ。しかし、これも逆と違うかな。ボケーッ、キョロキョロの娘じゃ、高齢の両親の役に立つかなあ。もうそろそろ何とかしないと駄目そうだし。

だけど結局は、アメリカに発つ私、、、これ、私のジレンマ。

という訳で、しばらくコンピュータとはお別れです。また、アメリカに戻って来て時差ボケが晴れたら、開始したいと思っています。
[PR]
by nerdy | 2006-05-30 16:33 | 日記
露出狂親ばか症のヤケに長い自己陶酔話
この日曜日の夜は長女の結婚式を終えた。
大成功を自慢したいので、ここに書く。自慢話が苦手な人はココで読むのをヤメた方が良さそう。

「花嫁さんのお母さん、ドキドキする?」「うまく行くか心配?」「準備が大変だったでしょう」沢山の方々が温かい言葉をかけてくれた。ところが全然、私はドキドキしないから不思議。

結婚の日は、舞台の監督のように舞台を自由に作り出してよしとする。そこへ人々をご招待してイイと私は思っている。結婚式が出来る事に感謝。

半年ほどの準備期間、娘が監督で私は助手。ウチの人は金融庁の長官兼運転手。それと素晴らしい場所が有るから一度探索してみよう、とキッカケを作った人。

広大な敷地のNY植物園の中の古い樹が茂って20メートルほど幅がある流れの速い川が前庭に流れていて、渡り鳥が面白そうな事が始まるといった感じでウロウロする所が式場。その傍に深緑の天幕の屋根が付いていて其所でカクテルアワー。その横に200年以上も保存されて史跡になっているレンガ造りの建物が有る。そこと繋がっていて、その建物内でディナーとDJでの狂踊りで段取りがつく。 料理もAbigail Kirschが担当というから、もう其れで即決定。

この建物は植物園が出来るズッと前から有って、その歴史と、名前はSnuff Mill。川の写真と建物の原型の写真が載ってます。あの頃は、この辺は熊が出そうな所だったのだ。英語の文章は長いから素通り。私の日本文も長いけれど。

それプラス、エルフが住む世界のような、妖精が飛び交うような古い樹々に囲まれて、川の流れの音が聞こえ、そこに季節の花が咲き、エルフの力に惹き付けられたような空間を作る地盤が既に出来ている。だから左程、加える事が要らない。

植物園の正門の道路向かいはマンハッタンからの鉄道の駅。なんといっても来る人は公共交通の便が非常に整ったNY市のバレリーナが大半なので、足の便はイイのは第一条件。ただ正門からココまで歩くとしたら1時間はかからないけれど、それを期待する方が無茶苦茶というもの。何と言っても、この広大な森のような所で迷う人が出そう。アレ? 私迷ってしまったわ、こういう時、どうするんだっけえ〜、みたいに見える人達ばかりだし。

ところがだ。夕方5時半にはココに来ている人全員を外に出して門が閉まるので、それ以後に来る人は、この中で始まる結婚式参加と見て間違いない。しかし門番のように来る人を監視して、ここの保安係の真っ白な電気車が何台も控えていて、それがボディー ガード兼警察沙汰でも起されたら大変だから監視して植物や樹を守れ係が送迎してくれる。

また車で来る人が中で迷ってウロウロされたら困るから、 沢山クネクネと曲がる道で分かれ道の所に 白い三角錐のものを置いてくれる。それに沿って運転練習場のようにして運転して行けば、目的地に辿り着くようになっている。着いたら、勝手気ままに大切な草の上に止められては大事なので、「車は私達がお停め致しますから一切ご心配為さいません様に。お楽しみ下さい」となる。これで辿り着けなければ、もう知らない。携帯で電話してもらって、迷い子が出たになる予定。

当然、限られた予算内で充分に工夫が出来る。全てよし。

教会での式は当人同士の趣味に合ないので割愛。法的に結婚を宣言する職業の人に来てもらって小川を背景に古い一本の樹の1枝に次女の薔薇色のワンピースの色と合う胡蝶蘭の生花をあしらって、その下で式をする。これが実にメルヘン。

そこに弦楽四重奏でバッハの生演奏を時間決めで式とカクテル終了まで演奏をお願いして来てもらった。これがまたエルフ世界を醸し出す。これは大当り。

ジュリアード音楽院を卒業しても何処かの交響楽団に職を得るという難関に直面した若い人ばかり。コンサートを自力でするか、教えるか、生計のたしに今日のような機会に出向いて演奏して収入を得る。嬉しい事には、この翌日の月曜日、東洋人のチェロ演奏者の女性はNYフィルから採用の通知を受け取った、という知らせが来た。実にお目出度い。盆と正月が一緒に来たとはコの事だ。

舞台設定完了と次女と花婿と花婿のお姉さんと結婚を定める人が枝の下に立って、全員が坐って、花嫁の母親、つまり黄緑色のシンプルな服の私がタキシードを来た娘の花婿の腕にリードされて歩いてきて前席に坐る。そこからが花嫁を迎える本番が開始。

先ず、父親と花嫁が歩んで来る小道を、芳香を放つ白薔薇を用意してチョッと残酷だけれど其の花弁だけをガラス容器にポテトチップの感じで入れておいたのを、花婿が其れを通路の石畳の小道に撒く。丁度、日本の宗教によっては本堂でお経が済んでから、和尚さんが紙で作った色とりどりの蓮の花弁を撒く感じの様にしてもらう。花婿の撒き方が愉快だからお客さんから笑いが起きる。
そして結婚指輪交換をして式は20分ほどで終了、ディナー開始までの合間は外でカクテル アワー。それが終われば弦楽四重奏は終わり。

一階全部が大きな台所で、そこに来て Abigail Kirschの人達が来て料理を準備してくれる。

室内で各テーブルのサービスを受け持つ人達も正しく真心を持って訓練されたのか職業にプライドを持っている。好きでしょうがないといった感があり物腰も柔らかく完全にプロ。

省略した事がもう1つある。それはBrides maids(花嫁さんのお付き)。こちらは数人の友人をお付きとして選ぶのが習わしだけれど、これは選ばれた友人達がこちらの指定する所で夫々が自費を払ってお揃いの衣装と靴を揃えるばかりでなく、結婚前の何ヶ月か前に花嫁の母親と女性だけを招待するパーティーをレストラン等で計画する。お付きになった人達各人には少なくとも合計数百ドルの負担になる。しかも皆、忙しいスケジュールの中、全て、私達には非常に無駄な事。花嫁の妹独りがお付きで世話をするので充分。 式の中で席から立って花嫁花婿の友人の何人かに自作の自由詩や詩人の詩を引用したのを用意してもらって、それを読んでもらうだけ。といってもコレが非常に効果的であった。

花嫁衣装はギリシャの女神のようなデザインのもので体の線に沿って流れるような一重の柔らかい白絹で後ろがちょっと尾長のドレス。バレエ衣装を思わすパッと広がるスカート調は無し。樹々と花と川の中から自然に現れる妖精の感が出る必要がある。ベールも無し。長い髪に白の胡蝶蘭を散らす。これがまた大当たり。

いよいよお楽しみパーティーに入場。
私達夫婦が感謝を述べてシャンペンで乾杯して、花婿と花嫁が選んだ曲でワルツを踊る。花嫁はドレスの後ろの長い部分を片手に軽く持って踊る。バッチリ成功。

その後、花嫁と父親が踊る。選曲をウチの人は私に内緒にしていたので、私は曲が始まってアッと驚いた。「Bridge Over Troubled Water」の曲に合せて踊り出す。

何十年も前に私達が未だ20代そこそこの時、ウチの人が音楽喫茶でリクエストして私に捧げると言った曲。それを今度は父親が娘と踊る。私は感慨無量で少々、涙腺がおかしくなりそうなので、ここで私の何時ものテの無言で算数の九九を唱え始める。

DJは、花婿と花嫁が選曲したロック、ブルース、流行歌、ジャズ、レゲー、ラップ、、、を流すのが仕事。 DJは通常はパーティーを沸かせるためにマイクを使って進行係をするけれど、それはしない様に最初に言ってある。ただ選曲した沢山の曲を、時間のセンスを独自に感じ取ってもらって、流してもらう。短く言えばその人の感じるがままに、という事になる。
今から思えば、日本の歌がなかった。実は「ゴンドラの歌」が私は大好きなのですが、それを入れれば良かったかな。3拍子でワルツが踊れる。それに歌詞が分かるのはウチの人と私だけだし、だから、教育上風紀を乱し、男の身勝手な歌と思う人は居ないし、ま、後の祭り。

なんといってもダンサーや振り付け師やバレエの先生が多いグループ。踊りときたら何でも来い風。一体全体、いつ食べているのだろうか? 
という私は即興のようなゴーゴーというか音楽に乗ってメチャクチャ踊りとなると、娘を花嫁にする年齢とは言っても依然、身に付いてますね。これが大好き。
中にはヒールのサンダルを脱いで裸足で踊り通しの人も居て、もう最高。

パーティー中に1つの音楽が終わる隙に携帯電話で現在進行中のヤンキーズ対メッツの試合を追う男の子が試合の経過報告を間を置いて始める。
急に話し出す人も居る。漫才をやり出す人も居る。この様になる普通のブッチャケ パーティーはパーフェクト。

結婚式に写真家はつきもの。彼女を私も彼女が子供の頃から知っている。花嫁は、彼女と一緒にリンカーンセンターのバレエ団で訓練を受け、一緒に踊って来た先輩。バレエ界はもう結構で辞めてフォト ジャーナリズムを学んで主にバレエの動きの写真を撮るのを仕事にしている。某新聞社のフリーランスもしている。今日の日を機会に結婚式の撮影も手がけたいそうだ。つまり、彼女にとって、結婚の写真を撮る事に関しては初仕事。写真が出来上がるのが楽しみ。彼女の感性と技術と人生が背景なら素晴らしいのは間違い無し。

各テーブルを飾る花も1メートル弱の背丈の高い重い花瓶に長く枝を天井に向けて広げたものにバラ色の普通、レストランの飾りに出て来る簡素な胡蝶蘭をあしらった自然の茶花風に指示、お花は高いのが相場だけれど、実に平均的な費用で実にメルヘンを漂わせて森林の中で目にするといった風を見事に実現してくれた。

そこに人々が集い、真ん中を遮る邪魔になる花という存在に成らず、しかもテーブルからテーブルに動き回る人々は蝶か小鳥の様で、皆、交わったといった感が出来上がったので、これも大成功。

親戚で年配の人が「今まで、沢山の結婚式に出て来たけれど、こんなにウットリするような心を奪われたかのような魔法のような時間に引き込まれた結婚式は始めてで、忘れられない経験をした」と言ってくれた。これが嬉しくて嬉しくて今日来てくれた人々が居ないと成立しなかった双方にある事で、それに感謝、植物園の方々の気配りにも感謝で、実に心地よい気持ちで其所を去って帰路に着く事ができた。

ところが帰宅して床についたら、急に心がチクリと痛んで涙が流れるから厄介。

京都で生まれてネズミ花火のように動き回る活発な三歳児の長女を連れて羽田を出立する時に「オバアちゃんも一緒に来る〜」とオバアちゃんの前でシクシク泣き通しで、オバアちゃんが渡したハンカチを湿らせて、そのハンカチを今だ大切に持って居るけれど、ハワイ経由でロス、そこからニューヨークに来て、その飛行機の中で折り紙に余念が無かった子が、日本語はとうの昔に忘れた。

小さい時からバレエに魅せられ、その世界しか知らないといっても過言でない人生に、バレエ団も変わり、拒絶や賞賛を浴び、怪我もあり、苦難もあり、今はオペラ団のバレエ部門に落ち着き気味な妖精の様な子を、彼女が行く所は何処へでも踊りのパートナーとして支えて来て理解ある、落ち着いた花婿は最高の人だし、といっても親は何時までも親で、子は何時までも子、遠い州や外国に行くのは、もう無しにして欲しいというのは私の沈黙の願い。しかし、それは私の問題で、後ろから、上から、押されるように二人の道を何事にも囚われず自由に歩んで行くのを見守って行きたい。

ここまで親ばかを読んで付き合って下さった方、有難う。
[PR]
by nerdy | 2006-05-24 05:07 | 日記
The Notebook
著者:Nicholas Sparks
出版:1996年

tkz_sさんの投稿で、記憶に関してきみに読む物語というアメリカ映画が有るのを知った。ネットで検索すると、英語のタイトルは“The Notebook”となっている。2004年に封切られて絶賛を浴び、其の後に原作はニューヨーク タイムズによるとベストセラー第一位になった。

ネットで本の書き始め数頁が読めるようになっていたので読んでみた。共鳴する文節が沢山あるので、早速、本屋に直行して購入して読んだ。非常に英語の書き方が読みやすいので、一気に読めた。

青年期から二人の間に物語があるアリーとノアは困難を乗りこえて結ばれ、共に高齢になっていく途上で、アリーにアルツハイマー病の兆候が現れる。その為にアリー自らの希望で一緒に介護病院に入る事に決める。

其所で次第にアリーの疾患が進んで、二人の物語はノアだけのものになり、アリーのものでは無くなってしまう。それを悲しむノアは、アリーの記憶が戻って来ると信じて、諦める事なく二人の物語をアリーに読み聞かせる。

この本の根底に流れるものは、人の日常事で何処にでも有る事だけに多くの読者に読まれるのであろうか。

実にそうだ、と思った文節が沢山ある。その中の一部を抜き書きすると

I have no complains about my path and places it has taken me; enough complains to fill a circus tent about things, maybe, but the path I’ve chosen has always been the right one, and I wouldn’t have it any other way.

I am a common man with common thoughts, and I’ve have led a common life. There are no monuments dedicated to me and my name will soon be forgotten, but I’ve loved another with all my heart and soul, and to me, this has always been enough.

And though you may call me a dreamer or fool or any other things, I believe that anything is possible.

And that leaves me with the belief that miracles, no matter how inexplicable or unbelievable, are real and can occur without regard to the natural order of things.

Poets knew that isolation in nature, far from people and things man-made, was good for the soul, and he’d always identified with poets.

“Poets often describe love as an emotion that we can’t control, one that overwhelms logic and common sense.”

I am not a poet, and yet a poem is needed to fully express the way I feel about you.

他にも沢山有る。

そういえば、三島由紀夫の短編小説「女神」で、画家が朝子に「おじょうさん、恋をするなら詩人としなさい」といった事を言う文節があったのを思い出す。

“The Notebook”は、男女の恋の様と行方を材料に、背景設定があり、周囲からの影響も含めて、その中で成長してゆく愛情の姿を描写しているが、それは材料として取りあげただけに過ぎず、その中からアブリだしの様に見えて来るものは、森羅万象の骨組みを語っているように思った本であった。

この映画は観ない事にする。
[PR]
by nerdy | 2006-05-18 23:02 | 読書
言葉を聞いて 心を聴く
For all the times
You listened to my words
And heard my heart…….Thank you

こちらアメリカで何かあるとカードを送り合う習慣があるのですが
これは、カードに既に印刷された文章、

毎晩、自由に短いお祈りをして眠りにつく習慣がアメリカにあるから
誰かの、祈りの言葉であったのかも知れない

目のウロコが落ちるような、何もかも洗い落としてしまうような、
言語の本質を覗かせた、そんな力がある言葉だ。

非常に良いカードに巡り合った。
[PR]
by nerdy | 2006-05-17 14:05 | 日記
声音
“アロー、アロー、アロー、なんたらかんたら”
ウチの人は、映画の役者の声色を真似る時がある。それも、特異な声の英語の台詞を好んで面白がって真似る。

「お願いだから、止めて。頭が変になる」

ウチの人は優しい人だわ。「何をっ?」とか、「女が男に言う事かっ」とか、そういう事は一切、言った事がない。すぐ止める。

偏見とか、既存知識とか、そういう事とは一切、関係が無い事で、体中が変になるというだけの事。丁度、ガラスを金物でキーキー擦って出る音に体中が凝縮してしまうのか、と思われるほどに拒絶反応が出る感覚と似ている。

「私はね、話しの内容なんて、どーでもイイの。それより声が一番、重要なの」

「それは願ってもない話しだ」

この会話でフト気がついた。今まで何で気がつかなかったのだろう。私は、人が言う事、出来る事、外観に惹かれるのではなく、声がスンなりと私に入るか入らないかで、その人を気に入る、気に入らないが決まっていた事が判明した。意外な発見だ。

ウチの人の声も耳に心地よい。Y子の声も、I子も声がイイ。KさんもSさんもCさんもだ。Vさんの声もイイ。義妹の声も。義父も良かった。しかし義母の声はキーキーした甲高い声で私は苦手だった。義母は繊細で思いやりがあるイイ人だったのに、どちらかというと私が構えてしまったのは、あれは義母の人柄など全く関係なく、声だ。

意外な発見なので、若い頃にさかのぼってみたら、確かに何もかも声だ。Kさんとズッと親友であったのも、あれは声だ。何を言うとか、何が出来るとか、美人とか、美人じゃないとか全く関係なく、声だ。
Mさんは私を何時も支えてくれて、優しくて、男らしくて美男な方だしお資産家の息子だったし、心底から私に対する親しみが伝わってきたのに、私は冷血漢だったのも、あれは声だ。Hさんも声が合わなかったのだわ。


Tさんは、意地悪な憎たらしい事を平気で私に言ったし、強引だったし、美男子な方じゃなかったし、別にパッとする訳でもなかったのに、デートするのが楽しみで、長く一番親しかったのも声が耳に心地よかったというだけの事だったのだわ。

なんか歌鳥みたいだ。
ひょっとして、人の声色に過敏で来たのを私は発見したなら、これから声色を無視する方向も開ける訳だ。声をウンヌンしても本人が変えられるものじゃないから道理がオカシイ。しかし、体中が凝縮してしまうのは、どうしたものか。

ブログや掲示板には音がない。無意識に私の判断の尺度になっていた声が無いとなると、今まで対人関係でどーでもよかった話の内容、つまりネットでは書く内容で交信するのだわ。そっか、今日は意外な発見をした。
[PR]
by nerdy | 2006-05-07 14:29 | 日記