Nerdyな人が増えて来た喜ばしい日々
by nerdy
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<   2005年 11月 ( 9 )   > この月の画像一覧
本当のかプラスチックのか
感謝祭があけた後の金曜日はブラック フライデーと言われる。
クリスマス シーズンに向けてプレゼント買いが始まる。こっちでギフトの交換は誕生日かクリスマスか結婚式ぐらいのものだ。他に結婚記念日に何年目は何で、何十年目は何で、というのがあって、夫婦でプレゼント交換をしたりする。勿論、それを割愛する夫婦も多い。小売りを繁盛させて経済の潤滑油にするという考えが盛んに見える。反面、人にもよるが、子供が何か欲しがった場合に、誕生日かクリスマスに当てる場合が多い。
出来る限り、近所にある物は近所で買う事にしている。

街は飾り付けを始める日だ。ニューヨーク市はユダヤ教の人も多い。ユダヤ教の大きな祭りは10月に集中していて、一ヶ月の半分は休む人も居る。これをダメだと言えば法律違反になる。ユダヤ教の休日は12月は10月ほど詰まっていない。12月のホリデーシーズンに陰暦に沿ったハヌカがあって、今年はクリスマスと重複する様だ。
ウチの住処の一階ロビーは、プラスチックのクリスマス ツリーとハヌカの電気式蝋燭が飾られる。

ロックフェラー センターのクリスマス ツリーに明かりが付くのも感謝祭あけだ。

さて、クリスマスはウチは毎年、本当の樹を買う。特に夫や子供達が大喜びする。しかし、私はしばし考えた。お店で売っているプラスチックの樹にして、毎年、繰り返して使う事にしようか、と考えた。プラスチックは好きではないけれど、樹を伐採しなくて済むし、環境に良い様な気がする。 でも詳しい事は何とも分からない。そこで調べた。

クリスマス ツリーが植わる山などの樹は、二酸化炭素を吸って、1エーカー当り人間18人が1日生きるのに必要な酸素を毎日出す。

アメリカ全体でクリスマス ツリーを植える仕事に携わる所は、15,000軒、雇われている人の数は100,000人。

大人の身丈ほどに育つのに15年で、平均的な低めの樹は7年。

一本のクリスマス ツリーに2−3本の苗木が地面から自然に生えて来る。

ホリデー後の廃棄はツリーだけを専門に集めて来て、色々なものに使う。

燃やしても有毒ガスは出ない。山に捨てても自然消滅する。

プラスチックの樹は100%、香港、台湾、韓国で作られてアメリカに輸入される。石油や金物を使うので、鉱物の採鉱をする。それに伴う鉱山の後処理が悪いのが殆どなので、有毒ガスが出っぱなしになる。

プラスチックはパッと燃え易く、飾り付けの電灯の加減で発火でもしたら火の回りが早く、同時に人体に有毒なガスが出る。

買い替える人は廃棄すると、プラスチックのものは半永久的に残るので、埋め立て用の土に多く含まれる。

プラスチックの樹を家庭や街の飾り付けに使う傾向ので、100,000人の雇用者の生活が危ぶまれる。

ささやかながら、私は今年も本当の樹のクリスマス ツリーをサポートする事にした。どうもプラスチックのものを買う気分が湧かない。

本当の針葉樹は室内の空気を澄ませるし、いい香りを漂わせるのもイイ。

ところで、ロックフェラーセンターのノルウエー杉は、個人の庭に植わっているもので大きくなりすぎて処置に困った人が毎年申請して、その中から選ばれた人の樹を切るという事が判明した。森林のものは、樹は周りと合わせて姿を保つので、枝振りがスケスケ過ぎるから使わない。クリスマス後は、公園や道などの補強や、樹の苗床、乗馬の障害物等、広い使い道があるそうだ。

これで自信持って決まり。今年も青天霹靂気分でお祝い気分に紛れる事にした。
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by nerdy | 2005-11-29 06:08 | 日記
感謝祭
よく晴れた感謝祭の日。感謝祭は長年、ウチでするのが恒例だけれど、今年は妹さんチで、そのかわりクリスマスはウチになって、伝統をひっくり返す事になった。

清教徒が欧州から逃げて来て冬を越すのに死者が出て、それを先住民が助けてといった、年代こそ違っても、国作りは何処も似ている感謝祭の元祖はともあれ、その時の食べ物の七面鳥、トウモロコシ、カボチャとちょっと外観が違うパンプキン、根菜類、クランベリーの実の煮付け等を料理して食べる。小学校の社会科で感謝祭の起こりは習うけれども、ホリデーだから、近しい人や親戚が集まって、その存在と友情に感謝して食事を囲むという部分が今では大きい。

11月は猟の解禁だから、免許を取得した人は野生の七面鳥を狩って食卓に出す人も居る。七面鳥はだいたいは弓矢の様だ。弓矢といっても今はハイテックのスチール製の恐ろしげなもの。それでも七面鳥は1羽でも穫れれば上出来で、殆どは手ぶらで帰宅になるらしい。

鹿狩りもある。これはライフルが多い。散弾銃なら弾を取り除くのが大変らしい。一度、角がある牡鹿の死体に群がる禿鷹類を見た。どの鳥の頭も血で真っ赤。多分、ライフルで撃たれた牡鹿は、傷を受けたままで逃げて、狩人に見つからないで命つきたのかも知れない。帰り道で牝鹿の家族が居た。ただジッと見つめるだけで恐怖心が無い様に見えて、それでも、ゆっくり去って行った。多分、禿鷹類に食べられていた牡鹿が率いる群れだったかも知れない。

狼が居なく成ったから鹿が増えて仕様がなくて、農作物を荒らすとかが理由で、10月下旬あたりから冬場、狩りが始まる。熊狩りもある。雌を狩るのは禁止らしく、雄の大人を狩るそうだ。鹿なら角があるから分かり易いだろうけれど、熊じゃ判別が付きにくいだろうに。寒い時期に、水辺に水を飲みに来るのや、獲物が帰って来そうな所でジッと一日中潜んで待って、出て来たら狩って、持って帰って、肉屋さんにステーキやミンチにしてもらって冷凍保存するらしい。
ウサギを狩る人もいる。

狼は北アメリカ大陸で全滅したと噂されるけれど、去年の晩春に、私は野生の狼と目を合わせた。狼は立派に生息している。

ペンシルバニアのアルギニー マウンテンで出会った。ヘンな殺気を感じたと思ったら、高く茂る薮の横に佇んでジッとコチらを見つめる動物が居た。犬の様に目が真ん丸ではない。白に灰色の毛が混じった大きな痩せた大型犬の形。しかし雰囲気や、その目、動物から伝わって来るもの、それと私から出る感情というか、あれは犬じゃない。

思うに、人間は視覚が発達しているけれど、多くの動物は視覚より臭覚が遥かに素晴らしいものである様だから、ひょっとして、湧いている感情によって体臭を放っていて、それを嗅ぎ分けられるんじゃないかとか? これは憶測だけど。

多分、子供が居る時期だから縄張りを見張っていた可能性がある。落ちている長い太い枝を夫が手に持ったら、サッと姿を消した。しかし、なんとなくヘンな感じで、長い距離の間、後を付けられている様な気がして、何回も後ろや横に気がいった。狼は群れを成す。

街に下りて、コーヒー店で「狼が居るんですね」と言うと、店主は「コヨーテでしょう」と言った。コヨーテは小型で、狼の美しさとは別だと思っていたけれど、土地の人がそう言うならそうでしょう、と思っていた。狼が生息する様になったなら、狂犬病が出ると問題だけれど、正常なら、こんな素晴らしい事はない。

ニューヨークのアデランデク山で狩りをする知人が言うには、何回か狼を見たと言う。やはり、狼は隠れながら群れを動かして後を付ける習性があるそうだ。しかし狩人は狼が居る事を絶対に報告しないらしい。じゃ、あのコーヒー店主も、その手かなあ。どうだろうか。「異常な行動の動物を見たら、報告して下さい」という貼り紙を街で見る。

ペンシルバニアの奥とニューヨークの奥の地域は繋がっているし、狼の縄張りは人の州の境と同じである可能性は低いし、狼の雄の数も少ないだろうから縄張りも大きいはずだし、やはり、アレはコヨーテじゃなくて狼に間違いなしだ。ちょっとシベリアの雪車をひく犬に顔が似ていて、背が犬より高くて大きく、しかも痩せている。なんといっても雰囲気に不思議な所がある。すごく綺麗な動物だ。コヨーテに悪いけれど、コヨーテにしては綺麗過ぎる。あれはコヨーテじゃない。

狂犬病なら別の話しだけれど、狼には人を襲う習性は無さそうだ。それに雪深くて獲物の少ない冬であった場合でも、非常に沢山居る鹿は冬眠しないから、餌に不足しないし、死を目前にした飢餓状態は無さそうだし、直立して、手に物を持つ人間の姿はヘンで、相手にしないだろうし、それに野生の動物には医者も病院もないから、好き好んで必要以上に怪我する事は避けて逃げ専門だろうし。こっちも好き好んで、やっちまえ、などという感情を湧かす人は少ないだろうし、攻撃的に縄張り内の子連れ狼を襲ったりすると別だろうけれど、その頃は猟は解禁じゃないし、結構、野生の動物って、人間に出くわしても人間は苦手な部類に入れられているんじゃないかと思う。 ジッと睨むのは人間にニコニコする習慣がないし、アッチも驚いて立ちすくんで様子を伺って睨んでいるだけの可能性が高い。「何で俺様の住処に足を踏み入れるんや」ってのは有るかも知れないけれど。急にバッタリとスグ隣に出くわしてたら、向こうも驚いて噛み付くかも知れないかな。

だからトランジスターラジオとは言わないけれど、結構、ペチャクチャとオシャベリする人を連れて歩いた方が動物よけになるかもしれない。生理中の女性は、マナーとして山入りは止めた方がよさそう。傷ついた獲物と思われて動物も判断を間違えるかもしれないし、余計な問題を誘い込むだけだ。

狼が森や山に居る限りは問題ないけれど、反対に狼が人間の住む地域を歩く様になって、囲われた家畜動物が獲物の姿として好適と知ったり、動物愛好家が人間の住む地域で餌付けをしたりしたら、面倒な事になる。
6月から秋口までは、野生の哺乳類が多い深い森や山などの動物界はお互いの為にソッとして置いて入って行かないのが私の流儀。

感謝祭と云っても様々な事がワッと来るけれど、アメリカ人の妹さんの食卓でも私は日本語で「頂きます」「ごちそう様でした」と言う事にしている。英語で手短かに言う方法は、あるのかなあ。ないんじゃないかなあ。私の知っている米人は皆、「さあ、食べよう」と言う。
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by nerdy | 2005-11-29 02:20 | 日記
八百万の神とお米とお酒
ニューヨーク市には、明日の感謝祭とは別に11月23日の日本の勤労感謝の日もある。

如何なるものかというと、今秋に収穫した新米を始めて食べる事が出来て、その新米から醸した新酒をナメる事が出来る日。それまでは、ジッと我慢して、古米と去年のお酒だけ。

お米の収穫は人の生死に係るし、お米からお酒を作るから、お酒には稲霊/穀霊があって、薬でもあって、大切な日。

それで、「酒の肴」がなまって「肴、魚」となって、「栄える」「(病気を)避ける」「奇びなるもの(薬)」から酒になって...。

丑虎の方向は北東で、卯が東で、だから卯の日は良い日で、何故良いのかと云うと東は日が登る方角で、何故に日が登る方角が良いかというと、天照大神が日を司るからで....何故に天照大神が良いかというと、天照大神が高天原で田植えをして自らお米を栽培していて、その稲穂を弟の須佐之男命にあげて、須佐之男命が、その稲穂を持って地に降りて、お米を生めよ増やせよと率先して作って、皆で「ほら、私達は、こんなに沢山お米を作って、それでお酒も作って、スゴいでしょ、私達の成果を嬉しく思うでしょう、お米をくれて有難うさん」という日。そして新しいものをナメるお祭りの新嘗祭が終戦後に勤労感謝の日と呼ばれる様になった。

新嘗祭は、普通、夜半に行われて、夜半に新しい穀物を噛んで、新酒をナメる。遥か太古の昔、お酒は木の実を歯で噛んで吐き出して作ったのが始まりと書き物にソオ書いてあるから、それで「お酒を醸す」になったのか、とか。

だから「お神酒」で、お神酒に白酒(どぶろく)、黒酒(灰を入れてある。灰はアルカリ性だから長持ちする)、清酒、一夜酒の4酒があって、酒造りは卯の日から始めて、酉の日に終わるのが良くて、何故に卯が大変に良いかは、もうお分かりで、酉に「さんずいヘン」で「酒」とう字になって、 神社は酒造りに作ってもらうけれど、神社内で神主や奉職する人が作る大きな神社もある。

酒樽に使う樹は杉が良くて、何故かというと、杉には殺菌性があるからで、
だから「ご神木」として、注連縄が張られている杉の樹もあるって、切り倒した杉の樹の切り株の中心に小さな子供の樹を植えて、それが大樹に育って...。

実はコレ、ぜんぶ、今日勉強した事。京都の上賀茂社からNY市に派遣されて来た神職の人が居て、11月23日の夜に、この日にちなんで、「お酒とお神酒」の講座を彼のアパートでするので、フラリと独り寒い夜に出かけたんです。寒かったあ。
6時からと思って行ったのですが、6時半からで、私は一番のりで少々早く来過ぎ。

神職の人は白袴姿。神主の白い衣に黒い帽子は被っていなかった。私の頭上でお祓いをして、小さな神棚にお参り。2回お辞儀して、2回手を打って、お願い事とか祝い事などを願って、そして1回お辞儀して退散。デジカメをバッグに持って来たけれど、気が引けるから撮影は止めた。

「なんで神道は知られていないんでしょうねえ」と神職の人が云う。
「そうですよね」しか私は分からない。
まるで相撲の解説者同士みたい。
「力相撲になりましたね」
「そうですね」
「北の湖は強いですね」
「そうですね」的な会話。

アパートの居間に椅子が並べられていて、難しそうな神道の学問書が本棚に沢山並んでいて、延喜式まであって、小さな神棚があって、新米の新酒の小瓶、それに新米の米粒が小さな三角錐の形に盛られていて、常緑樹の小枝が飾られている。常緑樹がイイらしい。お榊の木って、こちらで見ないんですよね。色々な山に行ったけれど、私は何処にも見た事がない。

6時半になると10人ばかり集まった。
8時に講座が終わって休憩時間になったから、私は帰宅する事にした。 新酒を嘗める時まで居たら、帰りが遅く成るし。
ここはチョッと離れたアメリカ大陸だし、八百万の神という位だし、カリフォルニア州で穫れたコシヒカリの新米を買おう、と思った日でした。
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by nerdy | 2005-11-25 15:16 | 日記
マンハッタンのホンの一部
e0037884_0455640.jpgワートレ跡 2003年、空が大きく成りました。これじゃ、方向感覚を掴む指標がなくなりましたね。
e0037884_0482791.jpgワートレ向かえの地下鉄R線駅のプラットフォーム。人が少ないけれど安全
e0037884_0575220.jpg2004年冬、毎年、米国中を回って大きな針葉樹を1本探して、見つかれば切り倒して、ここに持って来る。飾り付けは、色とりどりの電灯が繋がっているコードをつけて灯す。シーズンが済んだら、多分、廃物処理で細かく切って、セントラルパークや街路樹の床にするのかな? この樹の手前は冬はスケートリンク、夏は幕を張ってクラフト店や食堂に使ってる。そんなの、いくらでも掃いて捨てるほどにあるんだから、そんなの止めて、ここに1本か3本か植林して、それが大きくなっていくのを楽しみに飾り付けする方が清涼感があると思うのだけれどダメですか? これから長年は樹が小さいけれど、いいじゃん、そんなの。なんか、毎年、今度はどんな樹を持って来たのだろう、なんて、軽薄でヤ。でも市長にならないとラチがあかないボヤキになるから、私、今年も写真撮りに行く。
e0037884_0574344.jpgセント パトリッックス大聖堂(5番街 ロックフェラーセンターの前)。ローマのセント ピーター聖堂の丸天井の方が個人的には好き。これはゴシック建築。天高く屋根伸びる秋
e0037884_11898.jpg聖堂内。何時も観光客で混んでいる所。最近は、入るのに外に長い列が出来て、少しヅツ切りながら人を入れる日もある。ミサでは、海底2万マイルのキャプテン ニモを想像させる大きなパイプオルガン演奏がある。クリスマス日には、ミサ時間以外はルチアーノ パバロッチがラテン語で歌う♪アヴェ マリア♪や♪ヴェニテ アドレモス♪が流れている。週日のミサ時間外ですいている時間帯に座って居れば、こんな感じ。

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by nerdy | 2005-11-15 01:31 | 日記
Aida(アイーダ)
メトロポリタン オペラ
作曲:ジョゼッピ ベルディ(Giuseppe Verdi)
作詞:アントニオ ギズランゾニ(Antonio Ghislanzoni)

2年前、エルトン ジョンのミュージカル「Aida」をブロードウェイで鑑賞した。素晴らしいミュージカルであった。このミュージカルでは、 古代エジプト時代を舞台に、主演のアイダとラダメスは、刑罰として二人で墓に生き埋めとなるが、次の幕で何千年が経過した現代のエジプト美術館内が舞台となり、そこで見知らぬ男女の若者二人がフトした事から巡り合う。その二人はアイダとラダメスに象徴される。つまり霊魂の転生がテーマとなっている。涙涙で観たので、自意識過剰の私は、泣きはらした目で地下鉄に乗って帰宅する事になったらどうしよう、などと思ったものだ。

このミュージカルの大ファンである私は、「素晴らしい、素晴らしい」と口癖の様に言うので、長女は堪忍袋の尾が切れたらしい。メトロポリタン オペラのAidaの切符をお父さんの誕生日プレゼントとして一階のオーケストラ席を2枚用意していた。

「リインカーネーション? ちょっと〜、あ母さんってば〜、何寝ぼけてんの? 本物を見なさいよ。本物を。二人が一緒に墓の中でオシマイ、だからイイんじゃないのよ。趣味悪いよ、エルトン ジョンなんて。勝手にリインカーネーションって、ダメだってば〜。」

クラシッック派の長女は、意地になってもブロードウェーが嫌いである。

そこで、土曜日、夫の誕生日をかねて、リンカーンセンターにあるメトロポリタン オペラ劇場へ二人で出かけた。夜8時から12時まで、4幕、3回の休憩時間、3時間50分のオペラだ。ドイツ オペラは長いので有名だが、イタリア オペラも結構長い。

全ての席の後部に小さなデジタルスクリーンが取り付けられていて、歌の全てが英語に訳されて映し出される。座って前席の背を見ながら、オペラを聴く。ここは何時も日本人が沢山来ている。

オペラはバレエと比較すると舞台装置がすごい。そもそも、この劇場は、オペラ用に作られたものだから、天井が非常に高い。ここでバレエも公演するが、天井が高過ぎる。だから舞台空間の上部を黒幕で覆って低くする。

アイダでは本物の馬が3頭、舞台に出て来た。ここのオペラは何回か来たけれど、何れもスケールの大きさはバレエやブロードウェーと比較にならない程に大きい。
勿論、オペラ歌手は、世界一が集まっているので、その歌唱力が素晴らしいのは当たり前だ。声に調子や表情をつけて歌う。あれだけ歌うには体格も必要であるのか、どの歌手も縦横ともに非常に大きい。オペラは、大きな女性が熱唱するまでは終わらない、と言われるが、その通りである。

ブロードウェーの劇場は、何れも小さいが、歌手は小さなマイクロフォンをつけて歌う。
メトロポリタン劇場では、あれだけ大きな劇場なのに歌手はマイクロフォン無しである。それでも歌が劇場中に響き渡る。すごい才能である。

オーケストラは、舞台のスグ下に客席より低くなる様に掘られたオーケストラ ピットと呼ばれる所で演奏する。見えるのは指揮者の上半身だけだ。つまり音が上に上がるようになっている訳だ。演奏が歌唱をしのいでは台無しだから上手く出来ている。また、歌手がオーケストラに合わせるというよりも、オーケストラが歌手に合わせるといった感がある。これはバレエ公演の場合も同じだ。

私の隣に、穏やかそうなロマンスグレーの老紳士が独りで座っていた。私は話しかける事にした。オーストリアから来たばかりで、まだ時差ぼけである事が判明した。「まだ5時だ、まだ5時だ」と言っている。メトロポリタン オペラに感激していて、現代に珍しく非常にクラシックで、貴重な物を体験をしたと喜んでいた。ベートーベン、モーツアルトを生んだオーストリアの人が言うのだから、本当であろう。

オペラのアイダは私は始めてだけれど、オペラが終わって、「成る程」、長女が言う意味が分かった。

オペラの場合、二人一緒に小さな墓に生き埋めになるのではなく、ラダメス1人が神官に死を宣告され、ピラミッドの中に入れられて封印される。その中は非常に大きい部屋の様になっている。

♪黄泉の国に独りで来てしまった、アイダは今頃どうしているだろうか、もう顔を見る事叶わずだあ♪と、イタリアオペラらしくイタリア語でロマンティックに歌い始める。すると、奥からアイダが静かに現れる。つまり、ラダメスが墓に入れられる事を知って、アイダは先に中にコッソリ入ってラダメスを待っていた。成る程、輪廻転生より美しい。 2本の矢を持って的を射るよりも美しい姿だ。

妥協や諦めのない理想を仮想空間に現実化させるのも芸術の一つであろう。
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by nerdy | 2005-11-14 23:43 | 鑑賞
The Mystic Masseur
著者:V. S. Naipaul
出版:1957年 Heinemann社

この本は、私にはコメディーの傑作であった。
まず、装丁が重くなく、文庫本であるから、待ちぼうけの時の為にバッグに忍ばせるのにピッタリなサイズなのがいい。何しろ可笑しい本だ。公衆の面前で、爆笑してしまうのを避ける為に本を閉じる必要が何回かあるのが難点だ。

カリブ海トリニダドに住む少年Ganesh Ramsumair(ガネシ ラムサマー)が、父親の希望で、教育を学ぶ為に英国系大学に進む。菜食主義である為に、寄宿舎ではなく、料理を心得た世話人の所に下宿する。スタート時点から食べ方に困難が伴う。

幸いにも、大学のヘッドマスターが、愉快な人物である。教育論も何もかも
‘Form, not inform’
それだけである。
(形作るもので、情報を提供するものでは無い。或は、教え込む事ではない、とでも言う意味であろう。)

卒業後、父親の様に優秀なマッサージ師に成って病気を治す事にするが、しかし、父親の様には上手くいかない。

結局は、ダルマというヒンズー教関係の新聞を、仲間3人で発行するに至る。その過程の会話や仕草が非常に愉快である。この新聞発行が発端となって、ガニシは、政府の要員に当選する事になる。

政府要員に成ると、英国領下の事だ。会食にはフォークやナイフである。先ず汁物に苦労する。得体が知れない物であるからだ。ターバンを巻いて民族衣装を着て座って、最後まで何も食べないで帰宅するや、奥さんの作ったお米のご飯とダルとカレーに指を突っ込んで、ブツブツと独りで文句を言いながら食べる。そんな日が続く若い時代に、インド系の人を集めてヒンズー教の祈りを7日間唱える事を行う。それが今までの夢であったからだ。

巡礼に集まる大勢の人達の7日間分の食事を作る奥さんは、
「お祈りを聞きに来る人ばかりだと思っていたら大きな間違い。タダ飯を食べに来る人が殆どよ。」と言う。

女に教育は害になると、ガネシは思ったりもする。この奥さんは、コカコーラを出すのが恒例である。

その後、ガネシは、英国の政府要員となって英国に渡る。

そんな、ある日、ファースト クラスでトリニダッドに帰省する事になった。以前はターバンに民族衣装であったが、英国調の洒落た格好で帰って来る。
その姿を見つけた男の子が、‘Garnesh Ramsumair’と呼んで声をかける。しかしGarneshは、‘G. Ramsay Muir’と冷たく言って、少年に言い直させる。それが、本の最後の結びになっている。

この本は、戯曲ではないが、会話の部分を主体にしてシナリオを書いて、舞台で演ずるのにピッタリの書き物であると思う。

これは、著者の2作目の作品であるが、著者にとっては、始めて出版された作品だ。洋書として珍しく、序文を第三者が書いている。それも9頁に及ぶ。

一般に序文や解説は、著者自身で書くのが洋書の一般的傾向である。しかし、この本は、英国の大学の文学専門家が書いている。カリブ海の作家シリーズとして英国の大学で研究資料になった兆候がある。序文が始まる前の頁には、「この作品の内容は全てフィクションである」と1971年に加筆されている。

序文で、著者を純粋に学術的に分析している。著者は主役Garneshを批判的に見ている、西インド諸島化に著者は反対である等々、様々な分析が行われる。

私の本の読み方は、登場人物の分析や、著者にラベルを貼る方向付けには全く興味が無い。私は学者では無いからであろう。
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by nerdy | 2005-11-12 05:29 | 読書
A Bend in the River
著者: V. S. Naipaul (1979出版)
出版社: Vintage International

聞き覚えのある名前である。何処の国の人であろうか。裏表紙で、カリブ海トリニダット生まれ(1932年)、英国で学んだインド系移民の子孫である事を知った。著者は2001年にノーベル文学賞を受賞している。ノーベル賞に全く興味が無い私は、報道された名前をサラリと読んで、後は忘れてしまっていた。

この著作の背景はアフリカ大陸である。インド洋を越えて東海岸で貿易を営んで来たインド系移民の子孫サリムは、東海岸から奥地に入り、川沿いの街で生活必需品を売る小売商を営む事にした。非常に穏健な人物である。その地には、アラブ帝国時代や、その後の英国/仏国植民地時代の名残が残っている。工業団地も出現し、欧州の影響が強い場所であり、それ以前にあった種族間闘争は陰を潜めていた。

そこを流れる川には湾曲する所がある。そこから先は、毒蛇の潜む草原を抜けて、獣が住む森林へと続く。その中に小さな村が散在する。原住民にしか分からない未知の別世界である

この奥深い別世界からウガンダを中心に虐殺が起こる。この虐殺は、古きを完全に抹殺し、侵入者の記憶を残す者を全て殺害する。バラバラ死体にする事もある。

遂にサリムが住む場所に及ぶ。つまり、森林の村出身の大統領が率いる勢力が、外国人や、その影響が強い者の資産を没収し、逮捕、処刑へと進んで行く。

アフリカ東部生まれのサリムは、インド系二世であり、アフリカ人だと思って育って来た。アフリカが故郷である。しかし、それはサリムの頭の中に或る事に過ぎず、大統領勢力側から見れば他国人である。

結局は囚われて刑を待つ身となる。幸い、サリムに少年時代から養育され、学校に通い、成人し、大統領の要員に成った青年がいた。その青年が、サリムに海外逃亡を勧める。この本は、故郷を追われるサリムの船出で終わる。

この本の中で、サリムが語る言葉で印象に残ったものを掲げる事にする。非常に内容が濃い文章である。

The river and the forest were like presences, and much more powerful than you. You felt unprotected, an intruder.

文化文明の跡が微塵もない山や野生の森林に入って行くと、我が身は侵入者である、という自覚が呼び覚まされる、という見方であろう。

つまり、薄暗い森林や危険な川のある自然環境は非常な力があり、恐怖であるから、人間は、その中に人工的な文化文明を次から次に製造し、コントロールが効く人工的な領域内で生きるのである。そういう事になる。

What had given the illusion of closeness that evening was only our regret for the past, our sadness that the world doesn’t stand still.
この文章は、全て留まる事の無い世の常を端的に表現している。

サリムと対象的な人格として、同じくインド系移民、インダーを登場させている。
インダーは、アフリカを去り、英国に留学し、卒業する。それと当時に卒業生は「Brown Envelope」と呼ばれる封筒を貰う。それは卒業後、大学が卒業生に職業を割り当てる封筒である。インダーには、なかなか封筒が来なかった。

しばらくしてインダーに紹介された先は、英国にあるインド領事館であった。そこは、インド色やインド風俗で塗りたくられている。インダーは、偉業をなしたと思うガンジーやネルーの写真が、そこに掲げられているのを目にする。そのもとで、全てのシステムに自らを好んで奴隷化させているインド人男達が、忠誠とは如何なるものか、をインダーに説く。インダーの怒りがつのるばかりであった。

その理由は、偉大な者の写真を掲げて、その身を委ね、心地よさに浸っているに過ぎない姿として映り、忠誠を全く理解していない者の集団であると思ったからだ。

つまり、アフリカ生まれのインダーが、親から聞いて育ったインドと、目の当りにしたミジメなインド領事館の姿には大きな違いがあったからであろう。そこで、アフリカに舞い戻って来る。しかし、最後はアメリカやカナダに去って行く事になる。

カリブ海生まれで海外を渡り歩いた著者とインダーが私には重なって映し出されるが、これは私の思い過ごしであろう。

「それには大金を費やした事でしょうね」と、インダーに何気無く言った人の価値の尺度に憤慨したインダーがサリムに興奮気味に語った言葉の一部の抜粋をここに掲載する。インダーは、一筋縄ではいかない性分のようである。

Tell them that my value is the value I place on myself.

Everyone willingly made himself smaller the better to exalt those leaders.

You see that the past in something in your mind alone, that it doesn’t exist in real life.

For me, that dream of home and security was nothing more than a dream of isolation, anachronistic and stupid and very feeble.
I belong to myself alone. I was going to surrender my manhood to nobody.

The Americans want to win the world. It is their fight, not mine.
They are not a tribe, as you might think from the outside.
They are all individuals fighting to make their way, trying as hard as you or me not to sink.

サリムは今まで、行動力があって意気高らかなインダーを人生の指針として来たが、インダーは傷ついた者であり、彼には手を取って導く人が必要であるとサリムは思う様になった。

フィクションとしては、非常に読み進む本であった。
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by nerdy | 2005-11-10 07:47 | 読書
疲れを癒す方法
こういう事の好きな友人が、「疲れた時にどうぞ」と書いて、フガフガ ラボのサイトを紹介してくれた。
いっぺんに疲れなど吹っ飛んでしまいましたね。お気に召す事、間違い無し。
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by nerdy | 2005-11-08 09:10 | 日記
NY州の紅葉 
Ward Pound Ridge/Leatherman's Cave  にて (11月5日) NY Upstate
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Teatown Lake Reservation にて (10月30日) NY Upstate
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NYのもみじ
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by nerdy | 2005-11-07 12:10 | 日記