Nerdyな人が増えて来た喜ばしい日々
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Intelligent Design
今日から、いよいよ連邦裁判所で裁判が始まった。5週間を予定している。

ペンシルヴァニア州ドーヴァー地方で中高生の青年を持つ11人の親達が、生物の授業の教えかたを遺憾に思い、ペンシルヴァニア州ドーヴァーの教育委員会を訴えて来た。

ドーヴァーの教育委員会が、自然淘汰の進化論の学習要項に「Intelligent Design」を紹介しているのは「宗教と行政の分離」に違反しているというもの。

インテリジェント デザインとは、宇宙誕生の時に既に人間をHigher Intelligent Beingがプログラムし、人間はHigher Intelligent Beingに創造されたという思考である。インテリジェントとは「理解力や思考力のある理性的且つ聡明な」とでも邦訳して差し支えないであろう。しかし単なるインテリジェントではなく、ハイアーであるから、上下感覚で言えば高い、内容感覚で言えば普通のインテリジェントではない。それもBeingであるから、存在である。

人間の人体の構造や機能や仕組みは巧妙過ぎるものであり、自然淘汰では可能ではないから、Higher Intelligence Beingに始めからデザインされたもので、人間は霊長類から進化した子孫ではない、このギャップを完全に埋めるのは「Intelligent Design」であるという。これを4行の文章にして、生物の時間に読ませている。

結局は何も証明できていない。そういうものは、生物の授業の対象には出来ず、宗教団体が営む私立学校の宗教の時間の管轄であろう。

これを制定したのは、元ドーヴァーの教育委員会メンバーであったBill Buckkinghamである。バッキンガム氏は「私が霊長類の子孫であると私に信じろと言うのか!」と言ったそうだ。

信じる、信じないは個人の勝手だが、それを公立学校に取り入れるのは強要というものだ。何教であろうが、創世記であろうが、国生みであろうが、そういうものは家庭や、個人が属する宗教団体や、個人の問題である。

欧州は知らないが、今までアメリカは、建国の時から特定の宗教に固執する宗教国家であった事は一度も無い。よって、この裁判はドーヴァー教育委員会の敗北になり、公立学校の生物の時間にHigher Intelligent Beingの話しなど禁止になると私は予想する。

しかし、ブッシュは、Higher Intelligent Beingを公立学校で教えるべきである、と言っているから厄介である。公立学校にお祈りを取り入れる法律を制定しようとヤッキになっているのも確かだ。これは、2000年と2004年にブッシに強力な支持をして投票に大きな影響を及ぼした集団にお礼をしているだけの事であろう。演説で抽象的な事ばかり言う大統領だが、本意は、特定の宗教の解釈を国家の法律に取り入れる様な事はしないであろう。

しかし、大統領に指名され、上院議員議会で多数決で決まった最高裁のチーフ裁判官ロバーツ氏のもとにでも置かれるとしたら、非常に興味深い事になるが、それも、単に一種の広告で終わる事であろう。裁判官が個人が所属する宗教団体が教える事や、教典にコオ書いてあるからとか、個人の基準に従って法律を狭義に司っては、それは誰にでも出来る事で、裁判官として失格であり、世も末である。
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by nerdy | 2005-09-28 14:46 | うっぷん
美心月餅
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中華街は、至る所にある。日本にもあった。NY市にもある。その元祖はマンハッタン島のダウンタウンにある。
今日の日曜日は、今週、誕生日を迎えるI子と、中華街でお昼にヤム茶というものを食べる事にした。 I子はマンハッタンの中華街や韓国人街をよく知っている。NYに居る日本人や日本人観光客も大勢行く所であるらしい。
我が夫にも一緒に来て欲しいが、我が夫は中国料理が嫌いである。

長年NYに居ながら私はヤム茶というものを知らない。中華街にも過去2度程行ったに過ぎない。大勢の人出に圧倒されるのも原因していたが、同じ民族が大勢集まっている所が私は苦手であった。今もそれは変わらない。

中華街の中心、グランド ストリートに着くと、そこは、漢字で書かれた看板が並び、すごい人数の中国人の波だ。アメリカ国歌演奏が聞こえて来る。それが済むと太鼓を打ち鳴らし、高音で緊張した金属音の激しい鈴の音がしてきた。

満員電車の中の様なグランド ストリートの歩道を行くと「香港 美人月餅」と書かれた黄色い幕を背に、中国系の美人歌手がアメリカ生まれと思われる音で英語の歌を歌い始めている。獅子舞も始まった。獅子は随分と細長い。獅子というよりも頭が1つの八岐大蛇のようである。赤い獅子と白い獅子の2頭が組になっている様だ。

9.11後、しばらく閑古鳥が鳴いていた中華街は、中国人の底力と明るさで威勢の良い街に戻っている。

アメリカの中国人といえば、アメリカの横断鉄道建設の時やカリフォルニアのゴールドラッシュの時に大勢の若い男性が出稼ぎに来た事で知られている。歴史の流れの中に色々あったが、結果、中国人街というものが出来た。それが威勢良く繁栄している。

時代が変わり、今は、飢餓、産児制限、宗教弾圧から逃れて密入国してくる中国人や、仕事を求める者、香港から移住してくる者の数が増加していく。傘や杖をついた、顔の皺が深い高齢者は、街角の隅に立って、遠くから今日のお祭りを眺めている。

遂にヤム茶にありつけた。結婚披露宴が出来そうな広い部屋に舞台まである。金属製の小さなものに入った食べ物が沢山乗っている台の下から火が灯っている屋台を赤い帽子と赤いエプロンをした女性が、櫛を通していない風の髪に、なり振り構わない格好でテーブルの間をぬって引いて回る。お客さんは好きなものが回って来たら頂戴して食べる。男性達は、小ぎれいな格好をして所々に立っている。どの人もマネジャー風だ。この光景は私は好きではない。

男性が引いて回って、女性達には久方ぶりに支那服でも着て頂いて菊の花の様にして頂いた方が私には美しい光景だ。どうも光景が醜くていけない。男を立てている様で男の価値を下げている。私には、そう見える。

ヤム茶は、あっさり口で味も染み込み、脂っこくなく、美味しかった。圧倒される様な量で目前に出て来ないのが何ともイイ。

テーブル越しにI子に、ささやかなプレゼントをした。昨日、私はバナナ リパブリックで、純銀の細い鎖に一粒のクリスタルが下がっているネックレスを二つ買っておいた。1つは私が今日、首に下げている。ここの手頃な値段のファンション アクセサリーは汗をかこうが何をしようが皮膚が赤くかぶれる事が決してない。この方面では探知機である私の皮膚が保障する。

帰り道、まだお祭りが続いていた。途中、リトルイタリーに入りかけたが、ここもお祭りであった。立っている警官に聞くと「セント ジェナーロの祭り」であった。今年はすっかり、このお祭りを忘れていた。あまりに混雑していて足の踏み入れる場所もない。諦める事にした。

しかし、中華街のお祭りは、何の祭りだったのだろうか。あそこは何時もお祭りをしている。だから、また何か中国の祝日でも祝っているのだろうと思っていた。

帰宅してからインターネットで朝日新聞を読んで、今日の18日日曜日が「仲秋の名月」である事を知った。急いで窓辺に行くと、夜空に張りのある輝きを放った満月が昇っていた。素晴らしい真珠の様である。

成る程、美心月餅とは、月という字が入っているから月に関係ある祭りであった事になる。道端で、日本の中村屋の月餅に似たお菓子を売っていた所以も判明した。

仲秋の名月より、もう少しアトであったと思うが、私の子供時代は、まだ庶民の間で、お月見が楽しみな時代であった。母が丸い白いお団子を作ってススキと一緒に縁側に置いていたものだ。 夜の庭で近所の富美子ちゃんや礼子ちゃんや陽治ちゃんやマーちゃんと一緒にいて楽しかった頃が朧げに思い出される。月では二匹のウサギが餅をついている、と誰かが言った。どう見ても、いくら睨んでいても、あれは二匹のウサギと杵と臼には見えなかった。

同じ祭りでも、国が変われば、非常に賑やかな祭りとなるものだ。爆竹音と共に昼間に花火も爆発し、色紙の小片が頭上から降って来た。

今宵は中華街で仲秋の名月の祭りが夜半まで続くのであろう。
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by nerdy | 2005-09-22 03:19 | 日記
時代物
NY市の毎週土曜日の朝は、8時から10時まで、IFC/外国映画チャンネルで日本の時代劇を放映している。これは長い間続いている。英語の字幕は出るが、吹き替えをしていない。どの映画も可成り昔に製作されたものばかりだ。
家に居る限りは実に真面目に見て来た。勝新太郎主演の座頭市シリーズはイイ。玄関の扉を閉めた奥だけの事では勿体ない。そこで私は大いにNY市の若者に、この番組を宣伝してきた。乗る者は乗る、興味ないものは「あっそう」で終わる。それはイイとしても、見た若者からは非常に受ける。単に剣を振り回しているからではない。何か感じとている風である。

座頭市シリーズが終わると、白黒映画の忠臣蔵。「七人の侍」、「隠れ砦の極悪人」、「宮本武蔵」、その間に幸運なら「大菩薩峠」が入るが、時々、割愛される事がある。色々な映画が入って、また最初に戻って座頭市となる。つまり、この時間帯は日本の時代物の映画に限っている。テレビで上映された物は入っていない。「眠狂四郎シリーズ」も「姿三四郎」も「柔」も上映されない事になる。

先週からは吉川英治原作の宮本武蔵を放映している。今日は「一乗寺の決斗」であった。佐々木小次郎が顔を出す。三船敏郎の宮本武蔵は、それはそれで結構決まっている。あの声がイイ。あけみ役の岡田茉莉子や、お通役の八千草薫が娘時代であった頃を見る事が出来る。三船敏郎も若いはずだ。しかし、あの人は年齢に関係なく、あまり変わらなかった様だ。

「一乗寺の決斗」の一番の見せ場は、田んぼの泥濘の中での切り合いだ。この映画では佐々木小次郎は陰から様子を見ながら「あれなら勝つかも分からない」と言う。技量だけでなく周りの状態や天候も勝ち負けを決める要素に関係あるとする宮本武蔵であると見た佐々木小次郎は、来週の肝心の「巌流島」では、武蔵の計算を読めなかった事になる。

二番の見せ場は、吉岡道場の息子を切らずに立ち去る事だ。喧嘩をしかけた側にしてみれば殺生と言えば殺生な話しになるが、「獣だ」という沢庵和尚の声や、「情が無い」という花魁の声を思い出して、殺さない事にした。

お通さんも、宮本武蔵に負けない気質者だ。この2人は性こそ違うが、似た者同士、「女には女の道がある」をただ一筋に行くといった真面目さがある。

鉄砲が出て来る時代劇は興醒めするが、 日本の切り合い映画は実に美味しい味がする。最近では少なくなった西部荒野の鉄砲使いの映画と非常に似ている。命をかけて戦うなんてものではない。ただ自分が生きるために相手を殺すといった真剣さがある。
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by nerdy | 2005-09-18 04:42 | 鑑賞
The Bhagavad-Gita
Krishna’s Counsel in Time of War
英語訳 Barbara Stoler Miller

夏の暑い夕方、夫と散歩をしている時に、この本の名前を知った。実に発音しにくい題名だ。夫は大学生の時に暇に任せて読んだと言う。如何にして、この本が話題に上ったのか、検討がつかない。

夫:しかしすごい本だったな。
私:私も読んでみたい。手に入るのかなあ。
夫:入るだろォ。本屋にあれば、買っとくけどな。

そんなある日、仕事から帰宅した夫の手に、本屋のビニールの袋があった。
私に渡すので、靴を脱ぐのに邪魔だから持っててよ、なのかと思って私は袋を受け取った。そうなると中味を見ずには居られない。本が入っている。入っているからにはタイトルを見たい。

この手一杯な忙しい時に、散歩の話題を思い出して、本屋に寄って買って来たのを思うと、嬉しい気分だ。

「バガヴァ ギタ」と発音すればイイのだろうか。ドは無声音の様に聞こえる。しかし、無声音と位置づけても、字として加えているからには、有声への方向付けがある。「バガヴァド」にしても、ヴァといった後、口の中の舌を一体どうしたらいいのか。舌の筋肉の緊張を解いて弛緩させると上口蓋よりに休むか、或は舌先が外に出加減になるか、どちらかが無難な動きとなる。舌が出加減になる場合は、舌を外に出す音が無い日本語界では「舌足らず」と一般に言われる傾向になる。

翻訳者 ミラー嬢は、「The Bhagavad-Gita」が一般に「Song of the Lord」と訳される事が誤解を生んでいる原因であり、これは歌ではなくて、問答であるとしている。本を開けば、実際に、クリシュナが教えれば、アリュなが答え、あるいは質問し、それにクリシュナが答える、といった形式をとり、それが詩で表されている。シェクスピアのソネットの形式に類似性がある。

GitaはMahabharataという書物の中の一巻であり、そのMahabharataは10万の問答で成り立ち、現代には18巻で構成されているそうだ。
バガヴァ ギタは、その中の第6巻目に入り、その中のインドの戦争にまつわる問答に位置する。

アリュナは、親戚同士が敵味方になって、まさに戦闘開始をするという直前に、葛藤に苦しんでいる。そこにクリシュナが刹那現れ、アリュナと問答を交わした。時間にして非常に短い間の事を、文字にして18章に分けている。

1.Aryuna’s Dejection
2.Philosophy and Spiritual Discipline
3.Discipline of Action
4.Knowledge
5.Renunciation of Action
6.The Man of Discipline
7. Knowledge and Judgment
8.The Infinite Spirit
9.The Sublime Mystery
10.Fragment of Divine Power
11.The Vision of Krishna’s Totality
12.Devotion
13.Knowing the Field
14.The Triad of Nature’s Qualities
15.The True Spirit of Man
16.The Divine and the Demonic in Man
17.Three Aspects of Faith
18.The Wondrous Dialogue Concludes

Mahabharataと並んでRamayanaが同じ頃に書かれたそうだ。両書とも1200BC辺りにアリアン民族がインド北西部に移動してきた時から続いた戦争が語り継がれていた。それを400BCから300ADにかけて編纂したとされている。

この本を読んでいて、日本の神社や寺でみた仏像の姿が脳裏に浮かんで来た。冷たい火の波の様な火焔を背にして右手に諸刃の剣をかざし、左手に綱の様なものを持った恐ろしい顔をした不動明王の像や、何も持たずに静かに座った大仏や、立っているお地蔵さんだ。

この本は、仏師と、仏像を造るように頼んだ者と、仏像を見る者と、久遠で深淵で文字の無い世界とを内蔵し、それと同時に仏師、仏像を頼んだ者、見る者の中にも内蔵するといった、始めも終わりもないものの様で、しかも、その非常に風通しの良い解き放った世界にアリュナは問答によって帰す事が出来た、といった後味がした。
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by nerdy | 2005-09-17 01:08 | 読書
ハリケーン カトリーナ
8月29日(月)
隣のビルの歯医者の待合室で黙ってファッション雑誌の写真を眺めていた。

男:カトリーナ、酷いよな。こういう事がある度に何時も、気の毒な人ばかりが被害に合うんだよな。
私:エッ? ああ、ハリケーンね(黙々とファッション雑誌を眺める)
男:何百人という被害者が出たはずだと言ってはいるけどな、あれじゃ何千人と出そうだぞ。
私:まあね
男:9.11より死者の数が多そうだぞ。
私:ゲッ
男:アジアの津波の時、オレ等、多額の寄付をしたろ? な? だけどな、オレ達に誰が寄付するかって。そうだろ?
私:.....(コイツ、予言者?)
看護婦さん:でんでん虫さん、こちらにど〜ぞ
私:あ、はい、こんにちは、お元気ですか
看護婦さん:元気、元気。私は何時でも元気。でんでん虫さんは?
私:私も。

8月30日(火)
テレビも新聞もニュースは見ないから何も知らない。

8月31日(水)
昨日に同じ。

9月1日(木)
ロングアイランド鉄道のジャマイカ駅のプラットフォームに下りたら、大勢の州兵が緑色っぽい制服着て、帽子被って、ごついブーツ履いて、マグナムなんとかのライフルを抱えてウロウロしている。

私:何かあるんですか?
州兵:いや、何もない。念の為に防御しているだけだから心配はいらないよ。普通に列車に乗って大丈夫だからね。
私:Ah, So(これは、日本語の ああ そう と同じ。これは上手に音を伸ばして正しく発音しないと、「アス ホール/お尻の穴」という英語の捨て台詞に聞こえるから発音が上手くない人は使わない方が殴られないで済む。しかし本当に私達を守ろうとしている末端のこの人達の優しい言葉を聞くと、サンキューと言った方が良かったのかなあ)

9月2日(金)
昨日、ニューオリンズで暴動が起きたのを知った。援助も何も出ないで今日まで5日間、あの暑いメキシコ湾岸の夏の炎天下に延々と無視されていた。脳膜炎になりそうだ。移動するにも危険な毒物に大腸菌にだ。成る程、だから昨日NY市で州兵が出たのだ。

今日になって、やっと援助が出始めた。プカプカ浮いた死体や、電柱に体を縛ったままで死んだ死体は腐りかけている。必要以上にある水はガソリンや石油が流れ、化学薬品が流入している。汚水と化した。その中を脇の下や腰や太腿まで汚水に浸かって、飲み水や食べ物や服や靴や懐中電灯や薬がある場所を探してウロウロしている人が目立つ。

今日のNYポスト紙のトップ記事に「アナキーの町」という表題で、沢山の州兵が乗った大きな戦車が入って行く写真が載っている。
NYニュースデーのトップ記事は「How Could This Be?」で黒人の子供が泣いている顔写真が載っている。

NYタイムズは、火曜日じゃないから見ない(火曜日はサイエンス号の日)

月曜日以前に市は避難勧告を出したそうだ。車のある人や人づての有る人は、そこへ既に避難していた。しかし多くの人が大きな賭けをしたのか避難していなかった。といっても車は無いし行く所も無いけれど避難したい人は何処へ避難すれば良いのだろうか。
避難勧告は有っても避難場所を通告してあったとは報道されていない。惨事後は避難場所を金曜日に設置開始だが。

こんな事を言っては亡くなった方や被害で呆然となっている方は怒るだろうけれど、結果だけを視覚的に見れば、この方達は体を張って事を表に出した犠牲、もしくは儀式的な言い方をすれば、神棚にあげる捧げものといった感がする。ささげ物は神棚から降ろして食べる事に意義がある。一番綺麗なものであるから、それを食べる事に意味がある。豊穣の実りを捧げて、それに感謝して食べる。それと似ている。

都市国家は如何なる文明でも、リーダーが事を定め、その他大勢は、その範囲で生きるのが定めだ。今回の惨事の対処のズサンさは堤防の修復の先送りのミスや地方自治体と連邦政府の連絡経路などの組織構築が空っぽなのか、原因は何であれ、視覚的に現れた結果がこうなら、現実の実体がこうなのだ。

そこで、4日も遅れて、5週間ある夏休みを二日返上して、この惨事を助ける英雄ローンレンジャーだあ、スーパーマンだあ、マイティー マウスだあみたいに、お奥さんを連れて現れる。そして生存者を抱きしめて、生存者がニコニコしている写真がニューヨークタイムズに載る。よく出来ているもんだ。

大統領が留守の間は副大統領が代理をするが、あの人、音もなければ姿も見えず、オマエはまるでグルグル魔人(阿修羅ガールから拝借した語彙)。

ま、なんであれ、都市文明、産業文明、農耕文明なのだから、お上もお下も仕事も多いし休む暇など無い。時間がいくらあっても足りない。する事が山ほどある。優先順位を立てて事を進めるのは当然だ。しかし優先順位も上位数件だけが取り上げられている可能性が高い。つまり、なされていない事や中途半端止まりで、終わらせない事の方が殆どの可能性がある。文字に書いて発表して夢は売るが、それだけの事だ。そうだあ、そうだあとスグ信用するのも考えものだ。しかし、信用している風を装った方が人生楽しい。

少数の関心事の為にグルグル回しにされ、人騒がせな事をするのはホンの少数の関心事の人達以外にとっては良策ではない。何故なら、国はまるでドーナツの穴の如し。そこは空っぽだ。

何処に問題があったのか厳重な調査をします、と演説しているが、調査報告する事に目的がある事になる可能性もある。それで仕事をした事になる。民衆にしたら、そんな難しい調査研究報告など出来ないアホと自分で思い込まされて居る人が多いから、「わー、よくやってくれる」となる。

今、私は、原本はサンスクリットで書かれた「The 「Bhagavad-Gita」の英語訳を読んでいる。クリシュナとアリュナの問答が詩体で続く。その言葉尻を捕らえては何事も語れないが、クリシュナが言うには

The self embodied in the body
of every being is indestructible;
you have no cause to grieve
for all these creatures, Arjuna!

いろいろな解釈があるだろうが、いかに人類は惨事の中を潜って来たかが伺われる。

ニューオリンズで水に殆ど沈んだ地域を2人の男が歩いていた。ボートや漁船は激流と風に高速道路の上に陸揚げになっている。そこに車の姿は無い。子供が遊ぶ声も聞こえない。時々、飼い主を探す犬が佇んでいる。何処からか遠吠えが聞こえてくる。よく晴れた空にカモメが鳴いている。9月5日の気だるいレーバー デーの休日だ。

男1:来年はオレ達、また釣りをしているよ。
男2:そうだな。また釣りに行こうな。鮭やヒラメやマス、あれ、うまいよな。

また沈黙が続いた。
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by nerdy | 2005-09-07 23:42 | うっぷん
ユキエ

監督:松井 久子
原作:吉目木 晴彦 
放映場所:日米合同教会

長年続いていた読売新聞社NY支局は事務所をたたんで日本に引き上げ、日本経済新聞も朝日新聞も売れ行き低迷下、ありとあらゆる日本人向けローカル週刊新聞が誕生し、日本レストラン、日本人向けマーケット等に無料で置かれている。その中の「週刊NY生活」で
ユキエというタイトルの映画を紹介していた。
マンハッタンにある日米合同教会というという所で無料で上映されるそうだ。

国際結婚と高齢化 ー 病と夫婦、家族の愛描く名作

となっている。

国際結婚という言葉は、私は好きではない言葉だが、見に行こうかな、と思って、そのまま忘れてしまっていた。I子から「見に行こうよ」と電話があり、「あ、そうだった。見に行きたかったんだった」と思い出し、2人でフラリと行って来た。

110年以上NY市に存在し続けていた日米合同教会を始めて見た。非常に沢山の現地日本人が集まっていた。中には私の様にアメリカ市民になった日本人風も多い。日本人男性やアメリカ人男性が数人居るが、あとは若い日本人女性と高齢な日本人女性である。

松井監督が、無料でこの映画を合同教会に貸してくれたので、上映を無料で出来る運びとなったそうだ。

人間ドラマを私は見るのが苦手な理由は、非常に涙モロい所に原因している。この映画も、ティッシュを使ったり、ハンカチで涙を拭いたりであった。

以前は倍賞三津子は非常に大柄な体格をしていたが、今ではまるでカトンポの様に痩せているのには驚いた。

日本に滞在していた朝鮮戦争の従軍パイロントと恋に落ちたユキエは、結婚してルイジアナ州にやって来た。当時の日本ではアメリカ人男性との結婚など、とんでもない事であった為か、家族から勘当され、45年以上、一度も日本に帰っていない。「戦争と花嫁」と言われた時代であり、当然に、日本人の男女が慕い合う様な美しいものではなく全く別物で、日本人女性がミジメな扱いをされ、アメリカ人男性は毛唐、といった風に解釈される時代だ。

この2人の間に2人の息子も生まれ、人生の障害も乗り越え、愛し愛される夫婦の美しいメロディーをアメリカの町で奏でて行く。それは、ユキエがアルツハイマー病に襲われてからも変わらずに続く。

これが本当の話しであると知って、ますます涙、涙の映画であった。

と言う私も日本でアメリカ人男性と結婚し、26年前にアメリカの地にやってきた日本人女性だ。ユキエが「あなたと一緒に居る所が故郷だ」と言った言葉は実感だ。日本、アメリカに関係なく、高齢化と病と夫婦は、ちょっと先で私達夫婦を待っている。この映画の様に美しく入って行きたいものだ。

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by nerdy | 2005-09-05 15:04 | 鑑賞