Nerdyな人が増えて来た喜ばしい日々
by nerdy
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ブログ開催のご挨拶
読み物、書き物を中心としたブログを開催しました。 

その片隅に「完了条件法」 というヤヤコしい英語の文法に匹敵するカテゴリもあります。そこは、私のモンクたらたらを言わせてもらえば、で載せる予定です。
お遊びも必要なので、そのカテゴリを増やしたいとも思っています。

ブログのタイトル「NERDY」とは「Nerdな」或は 「Nerdい」です。
「オタクな」という日本語の新語がある様ですが、新語となっては私には外国語なので、それが邦訳に適当かどうか、何とも分かりません。

ニックネームは、ブログ上で私の頭が回らない込み入った事情から、修飾語のNerdyになる傾向ですが、「でんでん虫」を使います。形容詞のNerdyがついていない「でんでん虫」です。
そのでんでん虫はNerdyでんでん虫が書く本が大好きで、Nerdが書く本は非常にNerdy本です。

Nerdy本とは、何かに凝った著者が書いた本です。そういう本が磁石の様に私を引き付けるのす。

要は、私は、本に限らず NERDな人が大好きなのです。NERD な人が不足していて、これは飢饉だとまで思っています。

NERD とは、特に若者が蔑視の様に使う傾向で、そう呼ばれた人はイイ気持ちがしないのは確かです。頭でっかちで服装も洗濯が効いていれば着るといった感じです。一緒に居ても堅い事ばかり言いそうな感があります。

例えば、野球観戦中に投手が投げる球に放物線がどうのこうの、その率の値がどうのこうのと数学や物理学を基に野球を説き始める。

孔雀のオスの尾が長ければ長い程、何故に沢山のメスとのお目もじに成功するのか? に取り憑かれて、一番長い尾を持ったオスの孔雀の尾を切って、短い孔雀の尾に人工的に糊付して、何月も何月も観察する。そして人工的に尾が長くなったオスは沢山のメスを獲得するのを知って、それを発表する。それと同時に「孔雀のメスはアホか?」と思い、そぐに新たな実験に取りかかるタイプ。

ところで私の読書のスピードは、でんでん虫の如しで、しかも本の選択に偏りが見られます。

「食べず嫌い」があると認識しておりますので、広い方面に渡った読書に励み、改善する所存ですので、ご教示、ご高配を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
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by nerdy | 2005-07-30 01:57 | ご挨拶
The Pharaoh's Daughter
バレエ団:ボリショイ バレエ
楽団:ボリショイ  オーケストラ
指揮者:Pavel Klinichev
作曲:Cesare Pugni
振り付け: Marius Petipaのものを基にしてPierre Lacotteが振り付け
公演場所:メトロポリタンオペラ座

ボリショイ バレエがアメリカ公演でメトロポリタン オペラ劇場に来ているので7月30日に観に行って来た。

「ファラオの娘」を是非観る事にした。
このバレエは、ソビエトの時に禁止され、長年、埋もれていたバレエだ。それが陽の目を見る事になった。

ソビエトのバレエは非常に複雑怪奇な闇の世界。
個人的に、ボリショイとは違うがキロフ バレエで天才と詠われた美しいプリマがアメリカに逃げて来て、しばらく亡くなるまで、その人と近しかった時期がある。ソビエトの時勢下でアメリカで骨になり、骨になってからソビエトの地に許されて戻った美しいプリマの話しを思い出す。ロシアスタイルを叫ぶタフな美しい女性で、アメリカスタイルをボロクソに言っていた。彼女の半生は悲しい話だ。勿論本人は口にしないが、仲間が教えてくれた。聞く方にしたら涙ぐむ話しばかり。私はバレエは内外ともにかなり詳しい方だ。観た回数となると200は軽く行く。当然、観る目は養われている方であると思って許される事だろう。
要は、スポーツでも何でも、実際にやる人よりも、全然やらない人がスポーツ解説者になれるのと似ている。

このバレエはストーリーのある3幕からなる。ストーリーはともかくも、流石にロシアはバレエだ。非常に美しいクラッシックなスタイル。優雅で、しかもテクニックは確かで正確で洗練され、難しいステップを非常に簡単である様に見せる。簡単であるはずはない。しかし、テンションが全くない。また女性がリフトされる前も、クルクル回る寸前も観る側に予期できない程に前触れの勢いというものを見せない。アメリカで好まれるスポーツ的な強さを目立たせるスタイルと少々違う。私はロシアのスタイルを好む。アスレチックに気張った所を見せるスタイルは好きではない。

脚の動きがハサミの刃のように強く固定されフラフラせず、しかも足先はエビか蟹の爪のように湾曲している。これが、また美しい所以だ。

これは今回、始めて知ったのだが、聞くところによると、ロシア人の足先は遺伝的にアーチの低い人が多い傾向で、その場合はアーチに人工のものをつけて、大げさに言えばコブの様に見せる事もあるそうだ。

確かに、これもキロフからの逃亡者ミカエル ボリシニコフの足先は湾曲していないのが目につく。足先が宙に伸びた彫刻のようなポーズの時に足先が湾曲している方が、線として美しいのは確かだ。正確にポジションした一点を感じ取れるアドヴァンテージがある。

衣装も素晴らしい。トゥートゥーと呼ばれる短いスカートの衣装は、上下はアメリカの著明なバレエ団のものは二つに分かれているけれど、ロシアのはワンピースになっている。しかもスカートの部分が長めで花火の様に広がり、心持ち僅かに下がり気味。これがまたイイ。

バレエはイタリアのラ スカラ座のオペラの踊りとして生まれ、跳ね回るアスレチックなスタイルであったのが、フランスに渡って優雅さが加わり、ロシアで完成の姿となった、というのが歴史だが、それが事実であると確認したバレエであった。
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by nerdy | 2005-07-30 01:06 | 鑑賞
ニューヨーク、ゲリラ戦線異常無し
7月24日付某新聞の日曜版に入って来る “City Life”のヘッドラインが目に留まった。

New Yorkers, rude?
Deal with it!
It’s a jungle out there but New Yorkers’ style of Guerrilla etiquette has its defenders.

ニューヨークっ子は失礼な人ばっかりだって?
そんなの、自分で解決する問題でしょ! 
外はジャングル! 分かってんの? だけどね、ニューヨークのゲリラ スタイルを弁護する人だってチャンと居るのよ。

というもの。ニューヨークっ子とは日本で言う江戸っ子の意味ではなく、仕事で集まって来て住み着いた人、夜は他所の州に帰って行く人も含めて、そう呼ぶ。

仕事でオハイオ州からNY市に来て住み始めたばかりの男性は、やっとタクシーがつかまった。すると何処からともなく女性が現れ、
「あんたね、何分待ってたのよ!」
「あ、あの〜、10分間です」。すると女性は、その男性を突き飛ばし、アッという間にタクシーに乗り込み、ドアーを閉めてタクシーを走らせた。オハイオ男性はポカーンと口を開けて路上に佇む。

スタバでコーヒーを注文する番になったビジネスマンは、注文を入れないで携帯で話をしている。

地下鉄のトンネルの中は携帯電話の鳴る音を変える時の様で、何種類という音楽が鳴り始め、どれにしようかな、で時間を潰す。

映画館や劇場では携帯は切る事になっている。しかし、そうなっているのと、そうするのは別問題。ベルの音楽が切れるまで鳴らしてメッセージを入れる。そしてメッセージをチェックしている。

バスを待つ列が長い。やっと来た、さあ乗ろうと思うと決まって何処からか人が来て先に乗り込む。
「列があるんです!」
「列? 何処にあるのか見えるでしょ、とでも言うの! 何時あんたは交通整理の警官になったのよ!」

信号が変わって車がチョッとだけ横断歩道にはみ出していた。そこを杖をついて渡るオバアさん、車体の前方を杖で殴る。(実際に車の車体の前方の上に登って歩いて越えていった人を見た事がある)

全く知らないストレンジャーをダーリン、ハニー、スイートハートと呼ぶ程、失礼な事はない。

人の家族の健康状態に全く関心が無い。貴方がどんな人か、貴方のオジイさんが何者か仕事するのに、そんな事を知る興味は無い。 

まだまだ続く。

これを弁護する専門家と名乗る人の声:
8百万人住むNY市と、テキサス州西部では、NY市では、いけ好かない奴が目につく率が高いだけ。
NY市だけでなく、ワールドワイドにもっと金持ちになるのだあ、という金主義で、金主義は自分中心主義の事で、それが影響しているのだ。
行儀が悪いのではなくて、忍耐力が無いのだ。
道などを聞くと知らないものは知らん! 教えてくれる場合は愛想が無いけれど、必ず正確に知っている。
イメージや雰囲気だけで人間嫌いではない。ゲリラ戦線なのに反面、非常に親切でフレンドリー。ゲリラ同士の助け合い。

というもの。
 
エチケットのエキスパートからの助言が親切にも載っていた。
1.深呼吸をすること
2.反応する前に直面している状態が何れ程重要か考え、これから先の3週間に価値ある事か、又、反応して行動に出る事が自分と相手に何れ程まで効果があるのか考える事
3.タクシーを横取りされたり、だれかの失礼な態度が待ち合わせや通勤に遅れを取るなら、それは携帯を使う良い機会で、遅れる理由を電話する事

ニューヨーク市にようこそ。
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by nerdy | 2005-07-30 00:45 | 日記
若き日の詩人たちの肖像 上下
著者 : 堀田善衛 
出版 : 集英社文庫

この本は自伝小説とされている。つまり著者の「私」がある事になるが、「私」が登場しないで「若者」という男性の主人公が登場する。「某は」と名前になるのではなく、主語は「若者は」「男は」となっている。そこに著者の本意を私流に読み取った。

この本が置く状況は、支那事変、2.26事件から大東亜戦争に火の手は広がり、遂に真珠湾攻撃にエスカレートした日本国内の情勢だ。 それは、日本に徴兵制が敷かれていた時代に生きた全ての「若者」の事情であり、「私」だけでななかった。

若者の個性と良心に尊敬を与えずに、失礼千万の扱いを良しとする完全な盲目状態が力を得、その力の存続の唯一の策は、個人の自己尊重を砕き落とす事にあった。獲得できない尊敬を強要する為には手段を選ばない。この様な情勢下では向こうから進んでやって来るのは太陽が昇り沈みして明ける毎日だけであり、それ以外の全ては、一歩一歩後ずさりして若者達から去って行く。若者達の中には、「生命」ですら去って行く者もいる。最後に「男」に招集が来てこの本は終わる。

大きな1つの集合体を民主的に構築するには会議というものがある。情報提供だけの会議ではなく、議題のもとに採決で決定する。選ばれた代表者で構成される会議には決定権が委ねられている。閉会後は、その決定事項は絶対となり、国として行使される。この手順を踏まないならば、有象無象の集団と化す。つまり、代表者が反対を唱えないならば、それは賛成となり、会議の手順に沿って合法として実施される事になる。

全員揃って決定権を悪用すると、こういう事になるのか、もしくは反対を唱える事は恐怖である恐怖政治の風潮があると、こうなるのか? あるいは単に多数が賛成するというだけの事か?  どうであれ、人間の可能性は計り知れないものであると思った。
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by nerdy | 2005-07-30 00:32 | 読書
The War of the Worlds
The War of the Worlds

著者: H. G. Wells
出版社:A Watermill Classic

6月29日にスピルバーグ監督のSF映画 the War of the Worlds が全米で封切られる。既に夏休みを狙ってスター ウォーズ、バットマン等、色々な映画が封切られている。私も夏休みと決め込んで、しばし縛られない自由な時間がタップリとある幸運を噛み締めている中、どうも、スターウォーズを見に行く興味が湧いて来ない。見れば左程デジャブーでもないのかも知れないが。

しかし、この The War of the Worlds は絶対に行くと決めていると、自宅の本棚に古く黄ばんだ本が隠れているのを知った。そうか、H. G. Wellsの本の映画化かあ、と何時もの私の蛍光灯現象を自覚、映画を見る前に原本を読めば映画鑑賞に一味加わるのを願って、読む事にした。

19世紀中盤から20世紀の1946年、80歳まで生存した英国の生物に詳しい人が書いた事になる。

この本は

No one would have believed in the last years of the nineteenth century that this world was being watched keenly and closely by intelligences greater than man’s and yet as mortal as his own; that as men busied themselves about their various concerns they were scrutinized and studied, perhaps almost as narrowly as a man with a microscope might scrutinize the transient creatures that swarm and multiply in a drop of water.
で始まる。

19世紀といえば、欧州、特に大英帝国が、ピークを享受している時である。

個人的に、生物学、生態学、地理学、天文学等、科学に通じた人が書く本を読むのが好きな方だ。文学にしても、例えば源氏物語の現代語訳本を作家が書いたものよりも、国文学者が訳したものを読みたい。これは個人の好みだ。

ジェレッド ダイアモンドが書いた「Collapse」を読み始めていた時に映画封切りを間近に控え、こうなると2−3日、「Collapse」はホコリを被らせる事にした。これは正解の読み方であった。ダイアモンド氏も生物学に通じる人であるので、古代に消えて行った文明、現代に無人島となった調査分析に基づく論説展開をする。そこに H. G. Wells の思考形態と共通する点がある。

ダイアモンド氏より1世紀前にH.G.Wellsはサイエンス フィクションとして、人類が生存を危ぶむ究極に追い込められた時に変わる姿をSFとして文学で表現している。

勿論、この本は文学である。火星から断続的に飛行物体を地球に向けてミサイルの様に発射され、それが順を追ってロンドン周辺に落ちて来る。太陽からの距離や惑星自体の大きさが地球は火星より4倍であり、それが火星は地球より冷えて落ち着く速度は速かったという説を基に、話が進む。地球の重力が3倍であり酸素が濃い地球の上を動き回るのに巨大な機械の様なものに一個、一個の火星人が入って動き回る。
性の違いがなく、それに関係して情緒が皆無に進化した状態、また、地球人のような肉体構造を持たない全く異質な、コンピュータで言うと、プラットフォームが別であり、互換性が皆無な対象物からの攻撃を地球は受ける。

2週間のうちにロンドンは異様な地となり、時にはザンビの様に歩き回る人間の生き残りに出会うと、その顔に恐怖感を抱く。飢えた犬は人間の異様さから逃げさる。つまり、ダイアモンド氏の「Collapse」で明らかにする人肉食いの顔、同類同士が殺し合って食物とする人類の可能性をここに私は感じ取る。

「火星人」という語彙、また、物理的に不可能と言われている距離間の問題などの知識から、これはSF小説であり、縦横高さの世界という読み方も可能だ。つまり縦横高さの世界には縦横高さで応ずる。縦横高さに、それ以上の次元の存在を首の後ろかコメカミか脳天に埋め込まれたら、それは「馬の耳に念仏」か「豚に真珠」で人類は馬か豚である。

「人間も動物」と言われるが、それは正解であろう。人間が動物でありえるのは、究極の事態を自らが起こして、自らで自らをして動物とする。

究極の状態、生命が危ぶまれる危険な状態、それは死を目前にした時の恐怖が人間に起こす狂気、それが竹の節の様に基となって伸びて来たのが人間であり、それが進化、自然淘汰、その生存の鉾先にいるのが現在の人間であろう。

自然界や、それを基盤に構築する人間組織も含めて全ての世話人、あるいは、飛行機の乗客の集合体をそれに例えたら飛行士やスチュワーデスやスチュワートの様な存在が人間であるはずだが、進化、自然淘汰に欠陥があり、その欠陥の子孫が私達である。安全な時の人間の在り方から進化した生き物である様には思えない。変異するには、頭脳や精神も含め、肉体は、ちょっとや、そっとの痛みでは変わるものでは無い。こう思うのは、私が、究極に襲われた時、例えば狭所の暗黒に置かれた時の恐怖感に似た状態に置かれたら、自分自身の事であっても、まともで存在している自信は皆無で、その状態に置かれた時が試練だろう。

いやはや。色々な考えが脳裏を過った本であった。映画公開が楽しみである。
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by nerdy | 2005-07-30 00:04 | 読書
薔薇の名前 The Name of the Rose
著者:Umberto Eco
出版社:Harcourt Inc.

非常に読み応えのある探偵小説だ。これは読み側が本に同意する、しないに係らず、自分の国の事を良く知っている言語記号学の教授が書いた、中世を舞台にした小説と、その猿真似ではないかと思わせるアメリカ人著者の本では比較にならず、後者に歴史背景の掘りが浅く、読者にとっては読後の後味に違いがあって当然と言えば当然だ。ここに「笑い」が必要となる。

この本の時代背景はヨーロッパ中世1372年、場所はイタリアの裕福なフランシスカン僧院、それを背景にして7日間に連続して起こる7件の死、その調査に助手を従えて僧院に来た僧ウイリアムが、事件の謎を解いて行く。

裏表紙には、ウイリアムの解釈は、ロジャー ベーコン、アリストテレス、トーマス アクイナスの哲学に基づくと書いている。私はベーコンもアリストテレスもアクイナスの哲学も知らない。これは将来に読む本のリストに掲載しておく必要がある。

読み進んでいると、僧侶が集まって「イエスは笑ったか否か」という討論をする場面に会う。アリストテレスは詩学第2巻コメディーの全てのページを費やしてlaughter「笑い」について書いているそうだ。

この討論中に、今では目が見えなくなっている高齢の僧ジョージは異常なまでにアリストテレスの第2巻を攻撃する。しかし、この僧侶は、貴重な書物が貯蔵されている図書館の監視役である。つまり、禁書も良書も秘密書も読めなくなっているから適役である。これを笑うのは不謹慎な事であろうか。

死が連続して起こる背景に、アリストテレスの本の写本が重要な鍵として浮き彫りにされてゆく。

7日目の章で再び「笑い」についてウイリアムとジョージが討論になる。笑いを保って病人を癒した医者が主題である。

ウイリアム:I don’t believe the doctor cured him. He taught him to laugh at his illness.
ジョージ:Illness is not exorcised. It is destroyed.
ウイリアム:With the body of the sick man?
ジョージ:If necessary
ウイリアム:You are the Devil.

ジョージが、詩学第2巻のページを一枚一枚やぶっては食べて行くが、その時に何が起こるか、読んでのお楽しみだ。

笑いについて文節が続く。

It (アリストテレスの詩学第2巻) really did teach how to distort the face of every truth, so that we would not become slaves of our ghosts.
Perhaps the mission of those who love mankind is to make people laugh at the truth, to make truth laugh, because the only truth lies in learning to free ourselves from insane passion for the truth.

この本は次の様に終わる。

I shall fall into the silent and uninhabited divinity where there is no work and no image.
---
It is cold in the scriptrorium, my thumb aches. I leave this manuscript. I do not know for whom; I no longer know what it is about: stat rosa pristine nominee, nomina nuda tenemus.


1984年に著者は、後記をかなりのページを費やして付記している。一読の価値がある。

その中に、本文の中で交わされる次の会話について語られている。

助手:What terrifies you most in purity?
ウイリアム:Haste

著者の友人が、著書を読んでから、こう言ったそうだ。

“Only objection is that William never had a twinge of pity.”

これをエコー氏は、ほかの友人に言うと、その友人は
“That’s right, that is the style of his pity.”

Perhaps this is so. And so be it.

この後記には、印象を受ける事が非常に多く書かれている。

A child speaks his mother tongue properly, though he could never write out its grammar. But the grammarian is not the only one who knows the rule of the language; they are well known, albeit unconsciously, also to the child. The grammarian is merely the one who knows how and why the child knows the language.

後記の最後は次の様に結んでいる。

Moral: There exist obsessive ideas, they are never personal books talk among themselves, and any true detection should prove that we are the guilty party.

実に重い内容であるにも係らず後味が爽やかな本だった。
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by nerdy | 2005-07-29 23:59 | 読書
Collapse
著者 Jared Diamond
出版 2005年 Viking 出版

「Guns, Germs and Steel 」の著者が第二弾の大作を出した。
索引や参考文献などのリストを入れると575ページ、本体だけなら525ページ、実に重くて分厚い本だ。
教科書を思わす本なのかな、と早合点してしまう可能性があるかも知れない。
しかし、ダイアモンド氏の本は、非常に英語が読みやすく、しかも論証の方法と理由付けが滞らずに流れる水のように澄んでいて分かりやすい。

学者が書く本だから、面白みがなくて娯楽に読むには向いていないのでは、と思う人が居るとしたら、ダイアモンド氏の本を読んでみる事を推薦する。
感情や情念などが複雑に織りなす小説よりも寧ろ分かりやすいと思う人が続出する可能性がある。

さて、読後を書くとなると、話は別になる。あまりに深く広く考察と実証が繰り広げられている本であるので、感想文は言葉尻を捉えたものになってしまって、私には読後を書く力がないのを実感する。

ダイアモンド氏は、もとは医学専門だけれども生理学と生物学を専門とする。今は遺伝や進化を基にした生態系の地理学を教えている。鳥類にも凝っている事を考えると、環境に非常な関心があるのは当たり前の事だ。しかし鳥類が人間よりも大切という比較の観点には立っていない。
鳥が居なくなると樹々が害虫にやられて全滅の危機に置かれる事は充分に知っている人である。しかし、この本は生物の本ではないから、その方面を書いた本では無い。寧ろ、13,000年間の人類の歴史を書いた本と言える。

第一章は、現在のモンタナ州の問題を取り上げている。
第二章から古代社会に入って行く。

自然現象の変化だけでなく、人類の行為と意識(これには文明と人口増加、減少の関係も含む)が古代社会(ポリネシア諸島、イースター島、グリーンランンド北部、アイスランド、マヤ、現在のハイチやドミニカン リパブリック、ルワンダ、サモリア、中国等)にもたらした環境破壊が、その文明の崩壊に繋がっていった事を多方面の現場検証と研究から分析して行く。

そして長い歴史を経て時の先端にある現在に到達し、最近ルワンダに起こった民族間同士の虐殺、地球の1/5を占める中国が抱える公害とその影響、鉱石や石炭発掘の産業の企業理念等に論証は進んで行く。

Easter Island could not solve their milder local problems in the past, how can the modern world hope to solve its big global problems?
とダイアモンド氏が言った時に
「あなたは悲観論者か、楽観論者か」と聞かれたそうだ。その時に彼は「注意深い楽観論者である」と答えたそうだ。

自然現象が及ぼす環境破壊の他に、人工的要素が起こす環境破壊を大きく12に分けると

1. 森林の崩壊
2. 生態の狂い
3. 土壌の問題
4. 水とその管理
5. 無計画、価値意識の無い漁業倫理
6. 過剰な狩り
7. 遠隔地から侵入した生物
8. 高い人口密度
9. 人工的な要素から起こった気象異状
10.地球の光合成との共存に起こる狂い
11.環境に蓄積する有毒なケミカル
12.エネルギー不足

それに付随して、気象異常、環境保護対策、貪欲な隣近所、貿易相手の状況、社会の反応があげられる。

本体は、次の文節で終わる。

My remaining cause for hope is another consequence of the globalized modern world’s interconnectedness. Past societies lacked archaeologists and television. While the Easter Islanders were busy deforesting the highlands of their overpopulated island for agricultural plantations in the 1400s, they had no way of knowing that, thousands of miles to the east and west at the same time, Greenland Norse society and the Khmer Empire were simultaneously in terminal decline, while the Anasazi had collapsed a few centuries earlier, Classic Maya society a few more centuries before that, and Mycenean Greece 2,000 years before that. Today, though, we turn on our television sets or radios or pick up our newspapers, and we see, hear, or read about what happened in Somalia or Afghanistan a few hours earlier. Our television documentaries and books show us in graphic detail why the Easter Islanders, Classic Maya, and other past societies collapsed. Thus, we have the opportunity to learn from the mistakes of distant peoples and past peoples. That’s an opportunity that no past society enjoyed to such a degree. My hope in writing this book has been that enough people will choose to profit from that opportunity to make a difference.

この読後を読み返すと、この本が実に堅い本である印象になる。しかし、そうでは無い。問題は私の読後文にある。

ダイアモンド氏は莫大な量の著書があるが、この本の他に何処の本屋にでも置いている本は

「 Guns, Germs and Steel 」
これはピューリッアー賞を受賞した。Collapseよりも内容の書き方が堅い。

「Why Is Sex Fun?」
これは読んでみたい。素人の私の考えに誤りがあるのを見つける事が出来るか否か、楽しみである。

真面目に考えてみると、自分の国でなく、他所の国に行って、そこを掘り起こして荒らし放題にして有毒な鉱物を空気中に飛ばしたまま、あるいは、自分の国の樹は切らずに他所の国に行って、配慮も思慮もなく伐採して、後始末もしないで立ち去って、そこのローカルの人々が食べ物も植えられない、食べ物になる動物も居なくなって飢餓になる。それを知っても何とも思わない、という場合は悪いセックスに似て居る。何故、セックスは楽しいのか? この本は読む事にしよう。

「The Third Chimpanzee」
これも読んでみよう。猿は苦手だけれども面白そうな題だ。
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by nerdy | 2005-07-29 23:55 | 読書
天使と悪魔 Angels & Demons
著者 Dan Brown
出版社 Pocket Star Books

ダヴィンチコードの登場人物、清教徒を自称するMr. Langdon が誕生する本である。つまりダン ブラウンの処女作と言える。私は時間的には前後してダン ブラウンの本を読んだ事になる。

話の進め方、材料の構築方法は同じだ。1ページを使ってスイスにある世界最大の科学研究所 Switzerland’s Concil Europeen pour la Recherche Nucleaire (CERN) を事実であると明記するスタイルも同じだ。

CERNが実際に存在する事すら私は知らなかった。無から有の物体を創造する実験の結果、物質であるANTIMATTERを造り上げた事も知らなかった。このAntimatterは使い方によっては大量虐殺兵器になるそうだ。つまりヴァチカン市国を一瞬にして消す事など朝飯前であると話は発展して行く。

更に、法王と修道女が愛し合った事が発覚、その際に肉体関係は結ばずに人工授精で修道女が処女受胎で子を宿したストーリーが展開する。つまり、二つのエネルギーの統合という事無くして生命を誕生せしめる訳だ。その子はいったい、どの登場人物なのか? あまりに変化のないスタイルに興醒めするのは致し方ない。

しかし、第2作目であるダヴィンチコードに標準を下げて比較するならば遥かにサスペンスに溢れる本だ。偉大な彫刻家 Birnini の作品とローマの街が中心となって話が展開する。私の好きなものが二つとも舞台になっているからには、ついつい引き込まれて読んでしまう。

登場人物達が語る台詞は実にイイ。また、ヴァチカン市国の描写、特に法王以外は入れない場所や管理の厳しい図書館内の描写を非常にリアルに詳細に表現している。著者は実際に中に入れてもらったのだろうか? 

様々な人の相互の係わりも興味深く書かれている。また、悪魔の数字「666」の分析も参考として一読の価値がある。その底辺には、科学の存在と神の存在の論争にある。

科学の存在としてCERNとイルミナティ を結びつけ、神の存在はカトリックを材料に使っている。両者の観点が交互に係り合う中に殺人が次々と起こる。そこに暗黒から幻の様にイルミナティの印が出現する。科学の道を通って天界の真実を追求する科学者達が、居心地が悪くなったローマを去って結成したグループ、このイルミナティが、この本の鍵となる。

カトリック教会は敵視したイルミナティを暗黒に埋もれて眠る強力な悪魔として、その全ての知識を密室に封じ込めた、とする。そこには現在は印刷停止となっている聖書の一部、件数にして14にもなる書やファティマの第三の予言も一緒に埋蔵されているらしい。公開して欲しいものだ。かえって封じ込めると、人々の好奇心と反感を呼び起こし、情勢が悪化する。開けてみれば大した事はない事が往々にしてあるものだ。しかも知識は埋蔵できても、果たして人々の意識、同朋同士の意識まで埋蔵できるものだろうか? 悪魔の出現なしに神が存在しうるものだろうか? ここに

“They had turned to false idols-Techno-dieties and miracles of the mind. What about miracles of the heart!”

と、ローマ法王の侍従である神父が言葉を発する。そして大狂言をする事になるが、ここでは明かさない事にする。

The Galileo was an Illuminatus. And he was also a devout Catholic. He tried to soften the church’s position on science of God, but rather reinforced it. He wrote once that when he looked through his telescope at the spinning planets, he could hear God’s voice in the music of the spheres. He held that science and religion were not enemies, but rather allies – two different languages telling the same story, a story of symmetry and balance…….

ガリレオが、こう書き記したのが事実であるならば、この神父は、この言葉を如何に受け止めているのか?  

これが、1927年にカトリック僧侶、George Lemaitreがビッグバング説を学会に提出し、1929年にハーヴァード大学の天文学者 Edwin Herbleが公式に発表したとしたら、これは明と闇の素晴らしい融合だ。

“When approaching time zero, suddenly our mathematics disintegrates, and everything becomes meaningless.”

“Each of us is a God, Budda had said. Each of us knows all. We need only open our minds to hear our own wisdom.”

どれもイイ台詞だ。

1つ難癖をつけるとしたら、この本のクライマックスにダン ブラウンの本心が覗き、クライマックスが静まりかける頃の本の終末に新たに大事件を起こし、その落ちにダン ブラウンの趣味の悪さが露骨に現れる事だ。この本に書かれた登場人物達の素晴らしい台詞展開が無駄になり、関連性が消滅し、全てが、やはり茶番劇としてガラス細工が壊れるように崩壊する。ダン ブラウンの本は、この傾向があるようだ。 
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by nerdy | 2005-07-29 23:47 | 読書