Nerdyな人が増えて来た喜ばしい日々
by nerdy
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カテゴリ:鑑賞( 20 )
バッハとジプシー音楽
バッハの音楽がその時代のジプシーが奏する音楽から強い影響を受けたとする説があるのを知ったので ここに紹介しますね。

その説をとく人はモントリオールのMcGill大学で教鞭をとり、バロック音楽リコーダー奏者でもあるMatthius Maute氏。ドイツ出身で、 Ensemble Caprice(アンサンブル カプリス楽団)を結成、今はカナダのモントリオールを本拠に演奏活動もしている。

彼によると、バロック時代の作曲者でバッハの親友でもあったG. P. Telemannは当時のジプシーが演奏する音楽からインスピレーションが湧いたのだから、そのTelemannと深い親交を持っていたバッハと民族音楽について話し込んだに違いないとする。

なにわともあれ、1730年にさかのぼる民族音楽のメロディーの楽譜 Uhrivska集のメロディーとTelemann作曲の曲を聴いてみるのが1番。

とりあえずここをクリックして聴いてみてね。
ウーン、、成る程となるの間違い無し。

バッハが若者であった頃はドイツの北東部に放浪の旅をした。それならジプシー音楽に出逢ったのは必定と仮定しても自然な事だと言う。そう言われてみればバッハはポロネーズを作曲している。

Maute氏がバッハに関する事実を明らかにするところによるとバッハはフリー スピリットの人物で、しかも 権威(自分より身分の高い貴族やバッハの雇用者である教会)に対して へつらう事が皆無の人であったそうだ。遂に1917年には公爵の怒りをかって、バッハは牢屋に入れられた。

また、バッハがオーケストラを指導している時、1人のバスーン奏者に対して「全く話にならないヒドい奏者だ」言った事から その奏者と取っ組み合いの殴り合いになり、最後は剣を抜くまでに発展して傍に居る人々がやっとの事で取り押さえたエピソードがあるそうだ。バッハのように当時で言うハイクラスの身分の人は、そういったタチの喧嘩はまずはしなかったと言う。

バッハの曲のバランスの取れた形式の中に圧縮されて時々見え隠れするフリーな人間の豊かな感性や声楽の対位や折り重なり合いを改めて見直してみるのも良いかもね。

この楽団が今週土曜日にコロンビア大学のミラー劇場に演奏に来るのですがバッハをどの様に演奏するのか聴きに出かけてみようかなあとと思っているところです。よくよく考えてみれば「バッハはこう演奏するものなのです」といった受け継がれて来た決まり、そんなものなどは存在しないわ。バッハにあるものと言えば演奏者の創造性と独自性の尊重だわ。
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by nerdy | 2009-11-09 13:41 | 鑑賞
この夏に映画館で観た映画
Indiana Jones 4 (Kingdom of the Crystal Skull)
Mummy (Tomb of the Dragon Emperor)
The Dark Knight

Indiana Jones 4
インディアナ ジョーンズは公開されると必ず観に行って来たシリーズ。
スピード、アクション、スリル、冒険に満ちたシリーズであること、撮影場所の風貌や色彩のトーンが好みに合う、これが必ず観に行く主な理由。
今では息子を持つようになったインディアナ ジョーンズが猛スピードで走り回ったり格闘するシーンになるとハリソン フォードの足腰の間接の強さに関心が行ってしまう。代役を使っているのだろうか? とか考えてしまう。また、60歳も半ばのハリソン フォードが映画の主演になれるという事は俳優として優秀である証拠、女優の場合アメリカ映画で 優秀な女優でも あの年で主演女優に使われるだろうか、とか、映画を観ている時はそういう視覚的な事に気が散ってしまう傾向にあるが、クリスタルな頭蓋骨を持つ宇宙人が太古の昔に地球に来た、というテーマが私は好き。インディアナ ジョーンズのシリーズには必ず方向付けが明解であるのも此のシリーズが好きな理由でもある。

Mummy
これもシリーズで出ると必ず観に行って来た映画。性格俳優である男優ブレンデン フレージャーのみならず、ジェット リーが出るというので観に行った映画。これ大当たり。
中国の万里の長城、秦の始皇帝時代に作られた数々人物大の兵士像など背景セットアップや写真効果も抜群。
ジェット リーを大好きなアメリカ人の知り合いが言うには「The One ザ ワン」という素晴らしい映画に出演しているそうだ。ザ ワンは将来、ビデオを借りるリストに入れる事にする。

The Dark Knight
娯楽映画にしては私にとっては内容が暗くて重過ぎ。しかもジョーカーがナイフをチラチラと見せつける度に私は目を閉じてしまう。日本のヤクザ映画 「修羅雪姫」やカミソリで顔を切るヤクザとか、そういった物を観る時の恐怖と類似する。
1人の中にある明暗のコントラストのバランスを完全に狂わせる事がテーマであるかのような映画。ジョーカーが子供の時に母親を父親に殺害され、しかも残忍な父親に口をナイフで裂かれてスマイリー フェースにさせられたという子供時代の惨事がジョーカーという大人を作ったという事に同情を買おうとするウエートも大きい。

岐路に立った時に常に正しい事を選び、幸運でさえも自分でもたらすと決心している検事が自らバッドマンであると発表して身代わりになってジョーカーの悪事を終わらせようとまでしたのに、その美しい顔の左半分が焼けただれて化け物のようになった時、ジョーカーの小さな囁き1つで殺人鬼と化し、正しい事をする職務遂行が不足であるとして仕事仲間を殺し始め、最後は死ぬ。

そこでバッドマンの身代わりになった検事に恩返しという訳だけではないだろうけれども、バットマンは検事がした殺人を負う事にして検事を英雄として葬る。

唯一の正しい存在はバットマンというコミカルな人物で、しかも正体は誰も知らないという設定、その正しい存在が警察に追われる事で映画が終わる。

非情に暗い映画。作った主旨は何なのか、何に意味があるのか、一体全体ナニを言いたいのか、たとえコミックと言えども娯楽には方向性が必要である。人間の本性を突き詰めるのはいいけれど、悪の本性の方向に焦点を当てて突き詰める事と善の本性の方向に突き詰めるのとではドチラが明るいか?  全て明暗のコントラストであるのは人間1人の中身も同じ事、同じ突き詰めるなら善の本性を突き詰めた方が良いというのが私の見解。この映画は私は好きではない。もう時代遅れな映画である。
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by nerdy | 2008-09-02 07:48 | 鑑賞
鼓童とアイルランド民族音楽
アイルランド人には大切な日であるセント パトリックス デーはニューヨーク市で旺盛に祝われる。5番街のセント パトリックス聖堂前を出発するパレードでは夕方4時頃までアイルランドの音楽を演奏するグループが沢山歩く。今年は17日土曜日であった。

この日にちなんで、昨夜のテレビで “Spirit of the Special Music”という番組をしていた。
日本の佐渡島に厳しい太鼓演奏の訓練の学校がある「鼓童」の太鼓とアイルランドの民族音楽の合同演奏が番組になっている。これがまた素晴らしく合っている。太鼓の種類を合わせて音の違いを出すだけでなく、太鼓を叩く両腕の旋律やリズムやタイミングが波のような見事なスケールを演じている。そして、両腕が出す和音も、1つの太鼓の時は音が同じだから両腕が間髪を入れずに同時に叩かれた時に太鼓の音が理想的な単音のスタカートになる。

弟子入りするだけでも厳しいオーディションがあるそうだ。弟子になっても演奏に出演できるまでに大変な訓練の日々を通る。冬は暖房もなく、しかも地元の農家や漁業の手伝いもするそうだ。その熱意の人間味とアイルランドの民族音楽が持つ人間味の出逢いは、融合した人間の表現を生んでいる。
生で聴けたら、どんなにいいか、と少々、贅沢な欲望が湧いた。
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by nerdy | 2007-03-19 12:48 | 鑑賞
硫黄島からの手紙
制作:2006年、クリント イーストウッド他

観終わっても、インパクトの強い映画ではなかった。しかしアメリカの映画専門家には大変に受けている。アカデミー賞の候補にもなっている。劇場は金曜日の夜であるのにガラ空きで空席が多かったが。

一緒に観に行った夫も印象深い映画と思った1人だ。ショッキングな映画だったとも言う。日本国全体とアメリカ国全体が考える点に大きな違いが在る其の違いが非情にショックだったらしい。硫黄島の戦いで、日本の兵士が生きて帰れないと分かっている希望がない状態に戦うという点がショックな発見であるらしい。アメリカ側から見ると、生きて帰らないと知って戦うという事が異質なものである様で、皆の心に生きて帰るという希望があって戦うものらしい。だからアメリカで日本の神風特攻隊の事が不思議な事の様に報道されるのかも知れない。

日本人の私からみれば、それは日本の文化はアメリカの文化と比較すると住所の書き方にも違いがある様に個人というものが非情に小さく、その方向から同じ目的達成、それは政治思想など言葉に過ぎず経済観念が根にあると私はするが、その目的達成の為に戦時中教育に定められた教育目標が違う洗脳の仕方があり、皆と同じである事に安心する傾向が強いのが日本で、皆と違う事に安心する傾向が強いのがアメリカで、それが日本で大勢の一致を生み易い地盤を作り、その違いがソオいう事を存在せしめた。

また全滅すると分かっていても天皇陛下の為、あるいは国の為、日本国民の為という切り札を利用して国をまとめ、催眠術にかけたかの様に国民を陶酔させる事で生きて帰れないと分かっている戦いも戦わせ、 大本営から援助も出さない既に敗戦している状態に国民は消耗品の様な状態でも無言の業で目的達成が目的になり、しかも臣民に醜態を平気でやらせる。しかも、それが何よりも正しい勇気有る英雄という餌をチラ付かせ、それを遂行した者の状態に涙するという訳の分からない状態をつくる。これは完全に文化の産物であり、正しいか間違っているかといった高度なマインドの次元ではなく後天的に植え付ける感じ方の違いが生んだ事である。私には、それが表れている映画だ。

まさに今のアメリカ政権やイスラム武装集団のリーダーが其の術を使っていると私はする。

感じ方は個人のもので個人の自由で、それは個人がハッピーに成る事で、マインドの方が困難な持ち物だ。だから其れは避けるか、 中にはマインドの追求すら悪とし、感性をヨシとする者まで居る。一緒グタにしている訳だ。そして感性とマインドを入れ替え、感性がマインドかの様になり、マインドが感性かの様になっている。完全なる罠である。その罠に陥るとマインドが生む科学も一緒グタにする。

マインドの未熟さの度合いによっては害になる科学もある。それを全て引っ括めて科学を悪とする者まで出る。 だから私欲が潜むマインド コントロールは、それをしようとしている人を見抜けなくてはならなくなってくる。

The Christian Science Monitorという日刊紙に次の様な短いリヴューが載っていた。
クリスチャン サイエンスという宗教グループが出す新聞であるから宗教新聞という印象があるが宗教とは関係ない単なる世情報道の新聞だ。
しかしリヴューには宗教色が出ている。
「父親たちの星条旗よりも遥かに優れた映画であり、そこにクリント イーストウッドは、敵のヒューマニティーを表現している。」と書いている。ヒューマニティーであるから、人間性、人が持つ属性、慈愛、情、人情といった意味を一括したものと捉える事が出来る。
そんな事は皆同じ人間、最初から当たり前の事だ。しかし、戦争映画の多くが片方に偏って正義の味方と悪といった傾向で進むプロパガンダの映画になる傾向にあるから、それを鵜呑みにする者も出る。味方がまともで、知っていると思い込んでいて実は全く無知な対象の敵をワルとするのは間違っているのは明白であるので、それとは違った見方をした映画を制作した、という事になる。この点は私は大きく評価する。

その後、だから戦争は犯罪行為である、と言いたいのか否かは制作者に聞いてみないと分からない。単に、以前に戦ったシコりが両国間にあるけれども、ヒューマニティーは両国人ともに同じであったのだ、と言っているなら、これからも何回も戦争をしてヒューマニティーは同じだ、と言い続ける事が出来るだけである。良さそうに見えて少しも良くない。

この映画の中で只1つ私に印象深く残った台詞が在る。それは、Do what is right because it is right.だ。硫黄島で負傷して日本兵の捕虜になったアメリカ人が大事に持っていた母親からの手紙文の結びの文章である。それを読む日本兵が、「私の母も同じ事を書いている」と言う。

Do what is right because it is right. これが焦点となって様々な結論を人夫々に出している。
日本兵の間で会話が続く。
「あなたにとって何が正しい事か。」
「天皇陛下の為に戦う事が、あなたの正しい事か。」

難しい問答である。「あなたにとって何が正しい事か」
人によっては熟考して自分の結論を出す人も居れば、それが思い込みである危険を防ぐ為に自己の信仰から得たものを念の為に参照する人も居る。あるいは全面的に宗教に頼る方法を選ぶ人も居る。

「あなたにとって何が正しい事か」は私はもう卒業で、それから「人間が生きるとは何か」と言う問に進むと、私は 何が起ころうと如何なる状況下に置かれようと何を言われようと自己に備わったマインドを自ら使おうと限りなく努める事を生きる事とする。備わっているマインドを使うのが人間の責任でもあるとも思う。

人間も動物であるが人間には優れたマインドが備わっている。マインドは意識とも違う。適当な邦訳が見つからない。叡智、英知、知、理、、、、何が適当か見つからない。その使い方の度合いで今の人間の世の姿がある。人間以外の動物をヨシとする人も居るが、私はソオは思わない。動物界を観察する限りではマインドの度合いは人間が1番優れたものを受けていると見る。何処まで使うか使わないかが問題で、マインドが問題なのではない。

この映画を私は観てよかったと思う。何故か。マインドが完全に感情にコントロールされてしまうという人間が陥りやすい状態を此の映画が明確に表現しているからだ。

アメリカ側の硫黄島を表現した「父親たちの星条旗」は如何に制作されているのか興味が湧いて来た。近くDVDが出る予定なので、借りて観るつもりである。
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by nerdy | 2007-02-08 01:53 | 鑑賞
関東大震災と東京裁判の2つのビデオ
白黒フィルムで東京裁判の模様を録画したドキュメンタリーを去年の年の暮れにY子さんから借りたままになっていた。

今日は、関東大震災を始点に20世紀の東京の移り変わりを録画したビデオをY子さんは持って来てくれた。日本でNHK教育番組として放映された教育番組をビデオに撮ったもの、其れを二人で観た。

震災後の瓦礫の山から幅広い道路建設を中心にした新しい都市計画が構築されて民家の立ち退きも方法論の中に組まれ、一新された東京が生まれる。しかしバブル崩壊で恐慌が起こり、大東亜戦争から第二次世界大戦へと広がった時代背景の途に東京大空襲で再度、東京都心は瓦礫の山と化し、また瓦礫の山から都市計画が構築されて半世紀前の東京都心の面影が見えにくい都心の姿として誕生して行く過程を描いている。その流れの中にサラリーマンという職業も誕生する。

「七転び八起き」の底力がある、という事が制作者のテーマなのか、或は、日本の昭和史は自然からも海外からも日本は侵略されて被害を被り続けてきたのに挫けずに立ち直ってきたのが日本の姿であるというのがテーマなのか、或は、大震災前の民家や自営業が立ち並ぶ都心と、現代の会社集結の高層ビル連立のコンクリート文明との比較、その中で遊び場環境も変わった次世代を担う子供達の将来を気遣うのがテーマなのか、或は然ういう理屈は関係なく、日本に起こった表象を映像に捉えて放映し、観る側に係っているものなのか、、。

ジャーナリズムでも特に何処かに雇われているジャーナリストの中には少人数ではあるが何処何処のジャーナリストというのは表向きだけで本性は国に勤める国の報道員という隠れ身分がある場合もあるが、そのドチラであっても正確なジャーナリズムは「ジャーナリストの個人的思考主義宗教は報道に入れない。そうであるからジャーナリストは国籍や宗教などに関係なく如何なる国に居ても中立であるから戦地であってもジャーナリストを砲撃の的にして殺害、抹殺するのは犯罪である」に私は同感であるので、ドキュメンタリー放映も単に1つの大きな対象の一部を映像ジャーナリズムとして放映したに過ぎないという観方をした。
つまり観る側に係っている、が正解であろう。

このビデオは教育番組として放映されたものである。教育とは例外というものが無く全ての事に批判的な目を持った姿勢で取り組む事を養うのが教育に最も重要かつ大切な事であり、個人の思考の仕方は限りなく無限に成長するもので停留するものではないから、その個性を捉え、それを成長せしめるのが教育側の仕事であり、教師という個人も含め、教育の提供側は、教育する個人や提供側に対してすらも批判の目を持って教育を受ける事を教えねばならない。それを教育とする。それが無いのは単なる時間の浪費である。
これが教育番組とされているからには、私には其れを底辺に制作されていなくてはならない。
このビデオは学校の授業の最良の教材になる。そこに解答があっては台無しであるが。
「ペンは剣より強し」と言うのは実に上手く言った言葉で、映像にしてもペンにしても人を間違った方向に導く力は剣よりも強い。その危険性をも批判する目を育てなくてはならない。つまり剣はペンよりも強くない。


一方のビデオ、「東京裁判」では、映画になったものは観た事があるが、この現場録画のビデオは始めて観るものであった。最も強い関心が向いたのは、始まりの段階で日本側を弁護する仕事である1人のアメリカ人弁護士の弁明である。

1.国際法で戦争が非合法となっていないから戦争は合法である。
2.勝利国が敗戦国を裁くのは裁判として成立しない。

この2つの発言である。これを削除して延々に裁判が続く。

1.は正しくそうだ。侵略戦争を含めて戦争というものを犯罪としていない。
2.は、仮に国際裁判として成立させようとしても、敗戦側がドイツと日本で、その他は同じ国際であるから、如何にしても裁判は成立しない。敗戦国は連合国の一国ではないので連合国の軍事裁判としても成立しない。成立を可能にするとしたら敗戦国からの判事も入れる事ぐらいだろうか。

もう1つ、関心が向いたのは、オーストラリア人の裁判長が昭和天皇を最大の戦犯と考え、その他の軍人は使われ人、という見方を持ち続けていた事だ。

これは英国王室への見方と日本の天皇への見方が重ねている可能性があるのでは? と私は思ったが、しかし、白馬に乗って陸軍を指揮する昭和天皇の映像は大日本帝国憲法の最大指揮官にしては実にか細い。つまり、軍部に強く発言しにくい立場に置かれたという環境が仮にあったとしても、そうであるから鶴の一声を出せなかった、というのは神道の神主の長でもある天皇は失格であり、天皇の存在意義は無い。一介の同じ人間である、という事を露にしている真実の姿であり、言わば道化の姿である。

昭和天皇が戦犯にならないなら、軍人達も絞首刑になる要素が存在しない、と私はする。日本は悪かったが、それとコレとは別問題であり、しかも軍人達を絞首刑にしても事が変わらず、それは日本に侵略略奪大量殺害された他のアジア諸国にとっても同じ事で、恨みを晴らす仕返しか一時的な感情の癒しに過ぎず、それでイイなら絞首刑とはそういう為のものである。殺したから殺す、あるいは殺され中の者の恐怖は殺した側が味わってこそ生き残った者の心痛は消却される、という事なのか、あるいは一般大衆への見せしめ教育なのか。私見では、此れ等どれでも無い。

戦争が合法であるのに非合法の戦争という訳の分からない事で更に大きな合法を構築する為に孤立化した国の軍人を絞首刑にして力の集結を餌に政経法に大きく拡張して行く方針が浮き彫りになる。そして、其れに食いつく者が生き延び、そうでない者は裏街道を歩き、その集結の力の斬り込みという手段のゴールに、これからの将来に何があるのか見える必要がある。しかも其れが、お金の採算や物質観念でないところで自己と合致する事なのか否か、、、深層で合致するなら、その力の集結に加われば良い意図も簡単な事だ。

しかし、そこはカフェテリアで食事をするのと似ている場合がある。其所で食べたくない物を無理に食べさせられるという観念は通用しない。食べたくない物の前まで連れて行かれる事もある。そこに無理に脅して食べさせる手段もあるだろうけれども、食べないという手段もある。或は、食べたい物が1つも無いという事もある。その場合、新しい食事を置く事を提供する事が出来る。提供できなければ自分で作って持って行って紹介する事も出来る。それをしないで文句ばかり言うのも悪くはないけれど何も始まらないのは知っての事だ。1番困るのは、何でもヘイコラ ヘイコラして何の役にも立たない存在である。

「一寸の虫にも5分の魂」と日本で言われるけれど、マサにそうで、一寸の虫の私もカフェテリアというグローバル世情に居る者である。

何を観ても多極面から観た後に最終に残るのは自己に帰る事が私の観方である。
仮に東京裁判でなくビデオのタイトルが南極裁判であったとしてもジャングル裁判であったとしても同じ事で、関東大震災でなくアラスカ震災であっても同じ事で、その意味で、この2種類のビデオを観た事は大変に良い機会であった。

私の何時ものオチという訳ではないが、昭和天皇と面談したマッカーサーが昭和天皇に感服したそうだが、マッカーサーはメイソン兄弟であった(笑い)。
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by nerdy | 2007-01-13 02:56 | 鑑賞
マジック フルート
魔笛 (マジック フルート)

作曲:モーツアルト
戯曲:エマニュエル シカネーダー (ドイツ語)

元旦の夜、メトロポリタン オペラで8時に開演する「マジック フルート」を鑑賞しに行った。
「魔笛」は以前から行きたかったオペラだけれども今まで其のチャンスがなかった。幸運にもオーケストラ席で良い席を一枚40ドルで入手できたので早速に夫と二人で行って来た。

このオペラがメイソンを取り上げている事に私は非情な興味を持っていた。

古代エジプトに其の発祥がある、と一応はされているマゾニック メイソン、最近はフリー メイソンと言われる様ではある。

誰でも承知の通り、アメリカ合衆国はメイソンの集結で建国され、建国の父達とされるジョージ ワシントンやトーマス ジェファーソン等を始め近年まで軒並みにメーソン間の兄弟意識、あるいはフレンドシップの関係で世界と繋がり、アメリカ合衆国の国情も進んで来た。最近ではブッシュの父ブッシュが其れで知られている。勿論、モーツアルトもメイソン。日本人では吉田 茂が有名なメイソン兄弟であるのも有名な話である。

個人的に私の浅いメイソンの知識に基づく限りでは、私はその根本に使われる哲学が好きである。それが如何に使われて何が行使、実施されるかはデジャヴーである。

人間のマインドは往々にして儀式というもので仮想体験をする。神社にしても法事にしてもミサの礼拝にしても太陽信仰にしても聖典や経典にしても私には単なる儀式、あるいは人間は忘却の生き物であるから忘却を避けるために形として囲って、人間のマインドは変わっても変わらないものがあるものを仮想として視覚化させ、玩具にしているとしか映らないから、その空間を構築する建築物に対しても儀式にしても時には身を置く事も好きではあるが、無くては成らないものとは思っていない。むしろ目障りな時がある。

このオペラも人間のマインドの故郷を仮想空間として構築し、それを通して人間が生きている世界の中で肉眼に見えず耳に聞こえず言語も無い世界、ただ其処に有るのは常に変わらない、其れを視覚化、聴覚化、言語化させる、つまりオパスの集結、、、オペラである。

私には、そこから学ぶというものでは無いし、しかも効力があるものでもない。しかも世界各地の様々な芸術を云々して優劣、相違、類似を言語化させるのも無駄な事である。芸術は私には、こよなく愛する遊びである。
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by nerdy | 2007-01-03 02:19 | 鑑賞
不都合な真実
今年、数少ない映画館で封切られたドキュメンタリー映画、an Inconvenient Truthの ビデオを借りて観た。 元副大統領アル ゴアが行ったセミナーをドキュメンタリー映画にしたもの。
来年早々には世界各国で封切られるようだ。

アル ゴアといえば、2000年の大統領選で勝利が発表されたと同時に「待った」がかかり、フロリダ州で集計のしなおしが行われ、結果、ブッシュが大統領になったというか、大統領の席を盗んだというか、フロリダのジェブ ブッシュの八百長疑惑が持ち上がったりと、旋風が起こる事になった人。

ゴアが大学生時代から環境問題に関心を寄せていて、長い年月をかけて数多くの科学者と共に調査研究に力を入れてきた研究発表のビデオ。

ゴアが常に環境問題を大きな課題としてきた事が、多くの企業人にとっては目の上のたんこぶで、しかも環境問題重視が経済の発展を阻止して国民が貧窮する、という方程式を企業人や政治家が唾を飛ばしながら言っていた。

2006年のアカデミー賞のドキュメンタリー部門でアカデミー賞を受賞するか、しないか、、、あるいは潰されるか、、、、非情に興味深い。
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by nerdy | 2006-12-18 12:22 | 鑑賞
ゴジラ
ゴジラの映画は、ウチの人が好きで、シリーズで持っているのですが、ついでにポスターまでトイレや廊下に掛かっているのですが、ゴジラという語彙はゴリラとクジラを一緒にして出来上がった語彙とは知らなかった。
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by nerdy | 2006-09-07 02:00 | 鑑賞
蜘蛛巣城
何回観ても恐ろしい映画を今朝は独りで観た。
毎度土曜の朝8時からの国際映画チャンネル。英語のタイトルは “Thorne of Blood”。

シェクスピア原作の「マクベス」を黒澤監督が日本映画として製作したことで知られている。
かなり昔に「マクベス」を小学生版の本で読んだ記憶はあるけれど内容は全然覚えていない。

森の中の物の怪、森が動く所、味も素っ気も無い所に立つ城、甲冑、陰鬱な霧がかかった風景など何もかも白黒映像。

最後のシーンで今様風の詩の文句「、、、、、、、、昔も今も変わらない」
は同感。今はもっと複雑化しているけれど。

「あの蜘蛛巣の森が動かない限り戦いに破れる事はないと物の怪が言ったわ!」と単純に陣内に居る全ての人を信じて発表するのは、冷静な時なら「口は災いのもと」でしない事を、陣内が怖じ気づいているのを奮い立たせたい一心からの過ちであったと見て妥当だ。
或は敵方に同時進行で樹を盾にして蜘蛛巣城に迫って行く得策が浮かんだともとれる。

どちらにしても、森が動き出す前までは長年、悠々と安心して大将と其の配下に自分のアイデンティティーを感じ、それと同時に大将も配下も双方に加護のもとにあった利便を安寿していたのが、森が動き出すという信じ難い状況が起こるや、陣内が大将に向けて多くの矢を射て大将を殺す。実に人の心の儚さ。

弱さ故に美しいのかも知れない。しかし、映画や物語でなく現実の世では矢を射れなかった少数の人が居るはずだ。

何が恐ろしいって一人残らず全員が同じ行為や同じ志向をしているという、現実には不可能な状態を映画や物語に描写する事だ。「小説は現実より奇なり」だったかな? が言われる所以であろう。
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by nerdy | 2006-07-23 01:50 | 鑑賞
The Pianist
The Pianistのビデオを観た。 何度かこの映画を観たという次女は、私がこの映画が好きに違いないと思って借りて来たと言う。She made my day.

ポーランドの偉大なピアニストであり、作曲家であり、ピアノ教師であったショパンのピアノ曲が映画の様々な場面で流れる。

夜想曲、ワルツ、マズルカ、バラード、ポロネーズ、、、、

ポーランドのユダヤ系ピアニストWladyslaw Szpilmanがナチスの迫害の中で生き延びた実話を元にしている。

迫害を受けるユダヤ人のピアニストが、狂いに狂った戦争に廃墟と化した建物の中に残っているピアノを弾き、その音楽がドイツ人軍人の心にも響き、それが生存に繋がる。

ある場面では、ドイツ人が弾くベートーベンのピアノソナタ月光の曲の出だしが流れるが、これは、別にベートーベンに関係なく、ドイツ人だからオーストリアのベートーベンの曲にしただけに過ぎないに違いないが、ショパンのピアノ曲とベートーベンのピアノ曲はタッチが違うだけに、組み合わせが愉快と言えば愉快。

ショパンの曲は、現実の世に目覚めているのではなく夢の中に居る曲、液体を思わせる曲、あるいは歌う曲と言われるが、狂いきった時代の状態と、その中を水のように流れるショパンのピアノ曲との取り合わせが見事に決まっている映画であった。
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by nerdy | 2006-04-24 14:23 | 鑑賞