|
つぶろぐ
カテゴリ
全体
ご挨拶 マウリツィオ ポリーニ デブリカショー ピアノ演奏家 ニューヨークの桜 Old Westbury Gardens The Cloisters ワシントンDC 読書 鑑賞 楽しさ系 うっぷん 2006年帰省 単独国籍 日記 未分類 以前の記事
2009年 11月
2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 04月 2008年 03月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 最新のコメント
お気に入りブログ
リンク
ネームカード
最新のトラックバック
検索
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
今年の感謝祭(11月26日木曜日)は、北部ヴァージニアのアレキサンドリアで過ごしてきました。この週末にニューヨークに戻って来たところです。 アレキサンドリアはワシントンDCからポトマック川を渡ったところにある古い街。
滞在場所のすぐ傍に非情に興味をそそられる建物があるので調べたところ、建国の父ジョージ ワシントンにまつわるフリー メイソンの建物と解明。ガイド ツアーがあるとの事なので、感謝祭明けの金曜日に早速 参加してきました。 1910年に建設を起案、、1922年に建設が開始。建築様式はエジプト、ギリシャ、ローマの3つの様式を合体させている。 「天使と悪魔」「ダヴィンチ コード」の著者のダン ブラウンが今秋、ワシントンDCをテーマに、再度 メイソン関係で「THE LOST SYMBOL」を発行した為なのか、ツアーは大人気。私は未だ読んでいないのですが、ペーパー パックが出たら読んでみようと思っているところ。 これが その建物。古い町並みのキング ストリートを見下ろすように建っている。 デザインの原型はエジプトのアレキサンドリアにある古代からの灯台を基にしている。 どことなくピラミッド風の屋根の部分など日本の国会議事堂を思い起こしてしまいませんか? ![]() ![]() 入り口の天井に見慣れた模様を発見。日本でお寺を示す卍のマークを思わせる。この卍のマークは正しい方向に向いている。 ![]() ![]() ![]() これは エルサレムのソロモン宮殿にちなんだもの。ヘブライ文字は神の名前を書いてあるそうだ。 ![]() ![]() ![]() ピラミッド式屋根の下にある展望台から見たところ。 ![]() 興味をそそられる方は ここをクリック バッハの音楽がその時代のジプシーが奏する音楽から強い影響を受けたとする説があるのを知ったので ここに紹介しますね。
その説をとく人はモントリオールのMcGill大学で教鞭をとり、バロック音楽リコーダー奏者でもあるMatthius Maute氏。ドイツ出身で、 Ensemble Caprice(アンサンブル カプリス楽団)を結成、今はカナダのモントリオールを本拠に演奏活動もしている。 彼によると、バロック時代の作曲者でバッハの親友でもあったG. P. Telemannは当時のジプシーが演奏する音楽からインスピレーションが湧いたのだから、そのTelemannと深い親交を持っていたバッハと民族音楽について話し込んだに違いないとする。 なにわともあれ、1730年にさかのぼる民族音楽のメロディーの楽譜 Uhrivska集のメロディーとTelemann作曲の曲を聴いてみるのが1番。 とりあえずここをクリックして聴いてみてね。 ウーン、、成る程となるの間違い無し。 バッハが若者であった頃はドイツの北東部に放浪の旅をした。それならジプシー音楽に出逢ったのは必定と仮定しても自然な事だと言う。そう言われてみればバッハはポロネーズを作曲している。 Maute氏がバッハに関する事実を明らかにするところによるとバッハはフリー スピリットの人物で、しかも 権威(自分より身分の高い貴族やバッハの雇用者である教会)に対して へつらう事が皆無の人であったそうだ。遂に1917年には公爵の怒りをかって、バッハは牢屋に入れられた。 また、バッハがオーケストラを指導している時、1人のバスーン奏者に対して「全く話にならないヒドい奏者だ」言った事から その奏者と取っ組み合いの殴り合いになり、最後は剣を抜くまでに発展して傍に居る人々がやっとの事で取り押さえたエピソードがあるそうだ。バッハのように当時で言うハイクラスの身分の人は、そういったタチの喧嘩はまずはしなかったと言う。 バッハの曲のバランスの取れた形式の中に圧縮されて時々見え隠れするフリーな人間の豊かな感性や声楽の対位や折り重なり合いを改めて見直してみるのも良いかもね。 この楽団が今週土曜日にコロンビア大学のミラー劇場に演奏に来るのですがバッハをどの様に演奏するのか聴きに出かけてみようかなあとと思っているところです。よくよく考えてみれば「バッハはこう演奏するものなのです」といった受け継がれて来た決まり、そんなものなどは存在しないわ。バッハにあるものと言えば演奏者の創造性と独自性の尊重だわ。 ドイチェ グラマフォンのポリーニのサイトで一部だけだけれども試聴できるので それを毎日の様に聴きながら10月15日発売を待ち続け、15日に成ったと同時にインターネットで検索し通しだったのだけれど、アメリカでは未だ届いていない様子です。
やっとアマゾンで注文だけは取り扱っているのを見つけたので、早速注文したけれどCDが何時在庫に入って私の手元まで届くのかしら。年末かしら。 それまでは このページで(クリックしてみて)試聴するしかないわ。 ページが出て来たら左欄のタグから E-player をクリック、すると eplayer のページが出て来るので其の文章中のブロック体で書かれた語彙 eplayerをクリックすると5曲まで聴ける。何故か3部目のプレリュードまでで、6曲目フーガは音が聴こえてこない。 バッハの2声インヴェンション、3声インヴェンション、そして 平均律でプレリュードと組に成っているフーガでは声部が4声、5声と増えて楽譜が複雑化してくる。 ソプラノで歌う背後にアルトの声があり、そこへ低音のバリトンが入り、主音であるソプラノにバリトンが語りかける。全体に幾つかの声が織りなす対話が続き、ある時は非情に難題な事の対話であったり、またある時は内なる声の囁きの様であったり。 明るい歓喜で終わるものや静かに余韻を残して終わるもの。時には激情がぶつかり合うけれど、しかし決して格調の美を崩さないバッハ。 いつも思うのだけれど、大人に成って人生経験が豊富になればなるに従ってバッハの曲への理解が深まって行く。バッハの曲だけに限らず作曲家が曲を書いた時の真髄にある程度は触れる様になるのではと思う。 はやく第一巻の全曲を聴きたいわ。試聴の限りではポリーニの誠実さが溢れていて、しかもスピードも聴いていて心地よい。 過去、バッハ演奏家の中で ものすごいスピードで弾いた人が居たけれども私の個人的な意見では、その演奏家はバッハの醍醐味を損ねてしまっていると思う。 一日も早くCDが届いてポリーニのカンタービレの美しさを早く聴かせて頂戴です。 You tube で ラフマニノフのプレリュードを検索していたら、"Rachmaninov had big hands" という楽しいビデオを発見。
どのビデオも愉快だけれど 特に2番目 「ラフマニノフは手が大きかった」 のビデオは傑作中の傑作。 ここをクリックしてみてね。
レッスン中に私はピアノの先生から こんな ドキッ! とする質問をされた。
なんと 咄嗟に私の口から出たのは 「ヴラディミア アシュケナージ と キーシン」 先生は、「私もキーシンは大好きです」 とアシュケナージを割愛して言った。 アシュケナージは? と私は思ったけれど声にならず。それはよいとしても 私は何故に「マウリッイオ ポリーニ」と言わなかったのだろうか。 「あなたはピアニストで誰に恋をしていますか」 と質問されていたとしたら ポリーニと言っていたかも知れないし 誰にも恋はしていない、と言っていたかもしれない。 「ポリーニ」と言えなかった事に後悔の念。 いやしかし びっくりする事 聞かんといて、、です。 ここ3−4ケ月、音楽学校の夜間部ピアノ演奏科にチャレンジしてみたいという願望が強くなる一方、遂にオーディションを受けて来た。終わってホッとしたというのが正直なところ。
昼間部はプロを目指す十代の若者が対象の難関だけれども夜間部は職に付いている社会人や主婦や既に音楽に携わっていて更に技術を磨きたい人など、年齢層も幅広いリラックス ムードと聞いている。演奏でなくて様々な音楽のアイディアや、作曲など沢山揃った講義科もあって、その中には見ず知らずの人前で演奏するのに心配恐怖症打破クラスという非情に気になるクラスもある。 演奏科でもオーディションはレベルを見るだけが目的と成っている。 7月に課題曲が発表されて、その中から2曲を選んで準備するのが望ましい、暗譜は必要無し、、と成っている。1クラス6人が限度のグループクラスで一回の授業は2時間、お互いに意見交換のディスカッションの時間もあると成っている。一人当たりの割当時間を計算すると120÷6としたら20分有るかないか。 非情に近代的に外装も内装も変貌した音楽学校の建物内に入るや其のスケールに圧倒されて このまま退散しようか、、、しかし ここ一週間、風邪をひくのとピアノをひくのと同時進行で頑張ったのだし今更やめるのも後悔するから実行のみと決心。 私の番になって防音装置の効いた教室内に入るや中を見て少しホッ。教室が意外に小さいし、2台のスタインウエー ベービーグランドが所狭しと並んでいて一台だけが蓋が開いていて そのピアノも優しそうな雰囲気で、しかも5人の審査員が離れた所ではなくてスグ近くに座っているというセッティングに救われた思い。 まずはピアノに関してのザッとしたバックグランドは? と聞かれたので、ザッと答えて、その間は1—2分で通過して一件落着で、、さ弾いてみましょうとなって、、、 ピアノ椅子に座ったまではイイけれど椅子が妙に低過ぎを体感、しかし椅子は固定式で横にノブも何も無し、もうこうなるとヤケ。もう後に引けないと観念するとヤケに落ち着いて来た。さっさっと楽譜を置くやギョッとした事この上無し。今度は楽譜が目線から高すぎの位置で私は楽譜を下方から見上げている。 楽譜を私は読む時、眼鏡をかけるのだけれども音符が妙に違って見えるわ、、今更 後には引けないので残された道といえば弾く事だけに成ってくる。 後から考えると癖みたいに楽譜はボケーッと眺めているだけだったように思う。 2曲とも片面の1ページでおしまい。なんだ こんな事なら あの曲にすれば良かったと内心思った、、、という事は頭がやっと働いたら突然 「数オクターブ スケールを弾いてみて」と言う女性審査員の声が聞こえる。私の頭の中は空っぽ状態なので衝動的もイイとこでハ長調。それが終わると次は、アルページョのオクターブをやってみてと同じ女性の声、、、もう頭の中は完全に真空状態なので衝動的にハ長調となる。これでアッという間に呆気なく終わったわ、、と思った瞬間、「初見を試してみましょうかね」と同じ女性の声。 初見なんて聞いていなかった、、と思っても私の勝手で、かなり年期の入った古そうな珍しそうな教本が、これまた私の目線の遥か上に置かれる。これも受けてたつしか道はない。しかし後から考えてみたら深呼吸ぐらいして呼吸を整えて少なくとも初見の楽譜の出だしあたりを落ち着いて調べるべきだったという状況で後の祭り。 実はグランドピアノは楽譜を置いて見ながら弾いた経験が私には一度も無いのです。だから体感が狂いっぱなしこの上ない。昔々大昔に習っていた頃の先生のピアノも全てアップライトだったし、発表会は楽譜無しだったし。 アップライトは、楽譜の位置と目線が丁度良い釣り合いになる。ピアノとの相性というものは、長年連れ添った慣れの良さが係って来るという事を痛感。 その後 階下のロビーで待っていて、レベルが決まって、帰宅は夜になって、、今は楽しみ感のみ。 授業で一人当たりの持ち時間が短いはずだし、私の方としても仕事をしている関係で練習する時間が充分には持てないから、自分で取り組んだ曲や短めなので好きなのを選んで、経験豊なベテランに助けて頂いて、自分では見えない悪い癖も指摘して頂けたら其れだけで本望。いやしかし緊張とスリルのひと時でした。 首を長くして待っていた日、9月10日が遂にニューヨーク市に来ましたね。あとは来年の本場を待つだけ。鬼が笑っているかも知れないけれど来年が待ち遠しい。
桜咲く4月には我が最愛の人マエストロ ポリーニがニューヨーク市の地を歩む。 9月10日木曜日 午前11時に2010年カーネギーホールのリサイタル チケット発売が一般公開されました。勿論ポリーニの演奏会チケットも一般公開。ポリーニは全てショパンで通す。ショパン生誕200年祭にぴったり。 4月18日(日)午後3時 ノクターン2曲、前奏曲24曲、バラード1番、スケルッオ1番、練習曲12曲 4月29日(木)午後8時 ファンタジーFマイナー、マズルカ4曲集、ソナタ2番、ノクターン2曲、ポロネーズ5番、バラード4番、ポロネーズ6番 5月9日(日)午後3時 ノクターン2曲、マズルカ3曲集、子守唄、舟歌、ポロネーズ7番、ノクターン2曲、ソナタ1番 他にボストンとワシントンDCのケネディーセンターにも行く。 4月29日(木)は帰りが遅くなって翌朝に影響を及しそうなので行かない事と決心、、、そもそも この日の席は舞台に向かって左側は完売。ポリーニの演奏日の中で1番人気があるそうです。 一般公開当日の10日前には まとまったお金を寄付している人達や企業に2010年のチケット前売りをするから一般公開当日は残りの席になるけれども早々なら望む席の入手が可能。 サイン会で来年こそは、目も合わせずに英語でボソッと「サンキュー」などと野暮は恥ずかしい限りなので決して繰り返さないと決心。呼吸を整えてリラックスして、目をポリーニに向けてイタリア語で先ずはマエストロ ポリーニと呼びかけて狼狽せずに穏やかにグラッツィェ、ブエノノーテ。来年まで考える時間が充分にある。 チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第一番
カラヤン指揮、ベルリン交響楽団 1988年ライブ録音 Evgeny Kissin は 1971年生まれだから この演奏は17歳の時という事になる。そして今年は38歳ということになる。ピアニストになる予定で生まれて来たような人
ふとした事から知り合った日本人駐在員の奥様のお宅で生まれて初めてサイレント機能の付いたピアノを体験、問題解決に対処するグッド アイディア。
日本で言うマンション、それも204世帯を抱えるビル住まいの私がピアノの音が他の住民に漏れるのが明白な事に神経過敏になってしまって、防音の敷物をインターネットで探したり、ピアノに毛布をかけたりしているのを知って、同じくNY市でビル住まいをしている彼女は「一度 サイレントピアノをさわってみたら」と私を自宅に呼んでくれたのです。 ピアノに取り付けた機器のスイッチを入れてイヤホンを頭から被ってピアノを弾くと曲はイヤホンから聞こえるのだけれどもイヤホン外は全くの音無。だから傍に座っていても全く聴こえて来ない。イヤホンを頭に被ってピアノに向かって座って、指の動きと同時に鍵盤の鍵が無音で凹んで行く様子を目にするだけ。 最近は殆どのピアノに3つのペダルが付いているけれどもアップライトのピアノの中で真ん中のペダルはダンパーであるピアノがある。私のもソオだけれどもダンパーのあるピアノなら機能の後付けが出来るそうだ。 ピアノの箱の中にコンピュータが取り付けてあって、ピアノのキーを叩いてもハンマーが弦を打たず、コンピュータがキーを感知して 音を出すというもの。それが ちゃんと曲になっている。 難点はキーの打ち方が不揃いだったり未完な打ち方であってもコンピュータが感知してしまって均等の音を出してしまうので 実際は弾き方にバラつきがあっても指が揃っているように聴こえてしまうという短所がある。つまり聴いているのは実際に弾いているのとは違う場合の可能性が大いにある。 でも 楽譜を取りあえず弾く練習の目的には非情に良い。練習したければ真夜中でも出来る。自分の時間が持てたと思ったら夜が更けていてピアノを弾く時間を持つのが困難という問題も軽減する。 しかし不思議なものでサイレント機能を入れたのは ほんの2−3分で、無言の合意ででもあるかの様に彼女はサイレント機能は外してしまった。やはり物足りない感がするのは確か。二人で交互にいろいろな曲を弾いて交換して、ここは楽譜はコオなっている、あそこはアア、ここは腕をこんな感じにしたら音がコオなって、とピアノを弾きながら話しを弾ませる。 ピアノ仲間のグループ学習の様に独りで取り組む曲やピアノに対する思い入れ、また自分とは違ったスタイルを聴いて あれこれ交換しあうというのは非情に前向きで明るい。 ピアノは感情を入れるという問題が何時も付いて回るけれども、感情を入れるとは腕や手首や肘や肩などの動きにもかかっているのでは、内面が動きになるのであって、それが感情を入れるという事にも繋がる。例えばバレエ、バレエは動きが全て感情を表現するように。 あるいは彼女が言うように この部分は指先から涙がこぼれ落ちるように、、。言えている。 その日の気分によって曲の感じや選曲も変るという事は 感情がなせる事だわ。 「Don’t think. Just dance」とは リンカーンセンターとニューヨーク シティー バレエを設立した今は亡きジョージ バランチンの有名な言葉だけれども すごくインパクトのある言葉ですよね。 やはりピアノ仲間のグループとピアノの先生が私には必要だと ひしひしと これこそ感じた日。確かにピアノを弾くのは本人で、練習も本人で 本人が自分で掴むものであるにつきるけれども、自分では見えない部分というものが必ずあるもの。音楽は独りよりもグループが必要だわ。
著者: 高村 薫
新潮文庫 1992年出版 とても面白くて 引き込まれてしまう本。 後書きは高見 浩氏が書いている。それによると高村 薫嬢はション ル カレの著書を読まれたそうだ。 ジョン ル カレの著書を何冊か私は熱中して読んでいた頃があるので、成る程、少なからず影響を受けているのは確かだと思った。 ジョン ル カレが外務省に勤務した事もあり、それと同時に情報員でもあった経歴が彼の著書を完成させたとすると、もし高見 薫に其の方面との係わりが全く無かったならば その文才はすごい。 アイルランドとイギリスの在り方が生んだテロリスト、香港返還を巡る陰謀、日英米中の警察やスパイ機構の複雑な情報網や騙し合い、守銭奴の国政と其れを隠す為の連続殺人といった内容が暗いにも係らず其所に著者の主張や偏りが目立たずに単に小説として提出して、後は読者の自由にというスタイルが絶妙で、しかも非情に風通しの良い本。 そもそも この本を読みたくなったきっかけは、私のブログに投稿して下さるロティさんが「リヴィエラを撃て」の中に登場するピアニストの演奏がポリーニの演奏を表しているという噂がある事を投稿して下さったから。ポリーニ熱が燻っている本なら読まずにはいれない。 登場するピアニストはアイルランド出身で名前はノーマン シンクレア。 ポリーニとシンクレアを既に重ねてしまった私は、上巻 下巻を通して紳士的なシンクレアが登場する度にポリーニが浮かんで来る。演奏だけがポリーニである事を忘れないようにしないと。 金髪で青い目で、急にピアノ界から消えて、しかも独り身で、まず読み始めの頃に私の脳裏をかすめたのはクライバーンだったけれども、それも束の間の像として消えた。 シンクレアの表情や落ち着いた目や身のこなしや柔和な外観、その外観と共存する異質の面、つまり友としてなら最高だけれども敵にまわしたら恐いシンクレアがポリーニと重なる。 ピアノの音や演奏の表現もポリーニを思わせる。ブラームスのピアノ協奏曲第2番変ロ長調を東京のサントリー ホールで弾く場面を下巻の231ページで文章化している。231ページは読んでのお楽しみ。 ポリーニが弾くブラームスのピアノ協奏曲第2番を私は聴いた事が無いのだけれども 第一番は頻繁に聴いている。しかし第1番と第2番は違うのは当たり前ですが。 小説と現実を同一化するのは滑稽な話だけれども、高村 薫の脳の片隅にジョン ル カレが眠っているならば ポリーニも刻印を残している可能性がある。人の心にインパクトが強いポリーニなので高村 薫にも残像して不思議はない。 本のストーリーよりも1人の登場人物に過ぎないシンクレアを追って読んだ本でした。
|